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2005年2月24日(木)
12.残響

久しぶりに聴いてもらいたいと思う詞を書いた。

 私の場合、
「よかったら聴いてみてくださーい」
 とか言っていても、『及川眠子の作詞資料』といった感覚で、詞自体を噛みしめて聴いてほしいと思うことはあまりない。
 歌というものは、あくまで詞と曲とアレンジ、それに歌手とのコラボレーションによってできた作品であって、詞だけが突出してよくても、ほかのものがダメだと、その歌はダメだと思っているからだ。
 また、詞をじっくり読んだりすることも、ユーザーに対して求めたことはない。詞は『詩』とは違って、メロディーにのって人の耳に届くものだ。だから、私は常に「聴こえてこない」詞にいいものはないと信じている。

 そういった「歌としての出来」をクリアーしてた上で、はじめて私の中でも、この詞は好きだなーというような想いが生まれる。言い換えれば、それが滅多にないのが悲しいけど。
 まぁ歌というものも、どこか偶然でできた産物みたいなものだから、仕方がないのかもしれない。でも、だからこそ今まで作詞家を続けてこられたという理由にもつながっている。
 いい歌をつくりたい。私の目標はただそれだけなのである。そして、そんな歌はやはり売れてほしい。一人でも多くの人の耳に届いてほしいと願うのだ。

 大橋純子『残響』。
 もし機会があれば…。いや、ぜひ機会をつくってでも聴いてほしい歌である。
 ここ何年か彼女のシングルやアルバムに詞を提供させてもらっていて、その中でも毎回「命」をテーマに書いたものを入れているのだけど、今回の『残響』はその集大成のようなものである。

 昨年、台風の被害で何人もの命が失われた。その後は中越地震が起き、またしても多くの人が犠牲になった。そして、年末のスマトラ沖地震と津波である。
 不意に起こる天災や人災で、いくつもの命があっけなく、本当に何も前触れもなくこの世から消えていってしまう。
 しかし、報道を観ている私たちの側からすれば、それはあくまで他人事で、また運命なんだよと言うしかないことなのかもしれない。私自身、時には同情もするけれど、やはり自分とは関係ない出来事だと思っているところが多々ある。
 でも、もし自分の大切な人、たとえば家族や恋人や友人たちが、一瞬にして自分の前からいなくなってしまったらどうするだろう。

 大橋純子の前回のシングル曲『微笑むための勇気』は、ニューヨークで起きた9・11をテーマに詞を書いた。
 だけど正直に言うと、私はあの9・11に関しては、犠牲になった人たちがかわいそう、と単純にそれだけを思うことができなかった。
 やはりアメリカが今までしてきたことなんかを考えてしまうから、「テロはいけない!」と一言で片付けられない気持ちがあるのだ。それを考えると、どうしても戦争反対テロ撲滅みたいな歌を書く気にはなれなかった。
 だから、『微笑むための勇気』では、むしろ人間同士が許しあったり信じあったりできないことのもどかしさと、前を向いて生きていこうとする勇気をテーマに書き、あえて死ということにはふれていない。

 しかし、テロの犠牲になろうが、地震や津波などの天災で死のうが、交通事故や殺人などの人災で死のうが、命自体の重さに変わりはない。そして、大切な人を失くしてしまうことの悲しみは、同じように深いのだ。
 生き残ってしまうことのつらさ。残してゆく人たちに対して、死者はいったい何を伝えたかったのだろう。今回はそれをもっと突き詰めて書いてみたいと思った。
 この『残響』という歌は、そんな私の想いをも込めた、死者からのメッセージである。
 また、生き残った人たちに対しての、喪失と再生の歌でもある。

 曲を書いたのは、シンガポールのシンガー・ソング・ライター、Dick Lee(カップリング曲の『ホテル・マージナル』も同じく)。
 難しいテーマに挑ませてもらって、だからこそ、とても楽しい仕事ができたことに感謝している。
 ぜひ聴いてほしい。

 私自身は幽霊もあの世も信じていない人間である。しかし、人の魂というものはあると思っている。たとえ肉体がこの世からなくなっても、魂は生き続けると。
 生き残った人間が胸に抱える想いが、人の魂である。
 その魂に届く歌になれば、と願っている。




 
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