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2005年2月6日(日)
9.人脈は金脈

 人脈は金脈だと、私は常々思っている。
 その人の才能や運を押し上げるのもへこませるのも、すべて人との縁だとも思う。
 そう考えると、私はとても幸運だったな。足を引っ張ろうとする人も確かにいたけど、助けてくれる人との出会いの方が多かったもの。
 また、相手がたとえどんな人であろうと、会うこと自体に無駄だと思うような人もいない。どんな出会いにだって、きっちり意味があるのだ。

 若い頃は人との付き合い方がわからず、どうでもいい愚痴話にさんざん付き合わされる羽目になったりもしたけど、若いってことは時間がたくさんあるってことだから、今となってはそれも決して無駄なことではない。
 もう若くなくなって、無意味な時間を過ごすことに対して精神力も体力もなくなった頃には、うまいことできたもんで、知恵というものが授かっている。相手を傷つけることなく、ちゃっちゃと時間を切り上げる方法も身につく。
 人に会うことは大切。でも、その相手との会い方を見極めることは、もっと大切なのかもしれない。

 しかし、人脈は金脈だということに関しては賛同してくれるのだけど、時々それを勘違いしている人もいる。
「人とたくさん知り合えば、いろんな仕事がまわってくる」
 だから。
「紹介して! イベントやパーティーがあるときには呼んで!」
 一方的にこちら側の人脈だけを期待することである。
 自分は決して人を人に会わせたりはしない。何かイベントごとがあっても、誰かを連れて来るようなことはしない。しっかり自分だけが来て、いろんな人に紹介してもらって、それで満足して帰るような人たちである。
 そして、そういう人はすごく多い。ほんとに、イヤになるくらい。

 人脈というのは、実は与えてもらう側にメリットがあるのではなく、むしろ与える側に幸運をもたらすのだと、私は思う。

 以前、ある作詞を教える学校で1年間先生をやったことがあった。
 しかし、こういうところに来る人がプロになれるとは思っていない。もしプロになれたとしても、ごく少数だと思う。なぜなら、学校に来ることによって、作詞の技術や業界での処世術を「与えてくれる」「教えてくれる」と思い込む甘さが生まれるからである。
 私はお金を払って学校に行った。だから、払った分のものだけを与えて。
 それは言ってみればノーマルな思考なのかもしれない。だけど、才能や運で渡りきる世界では、その考えはなかなか通用しないのだ。

 私がそのとき、生徒に言ったことなのだが。
「与えてあげます。教えてあげます。私もお金をもらってるからね。だけど、本当に大事なことは絶対に与えないし教えない。だって、自分の命取りになるかもしれないことなんだから。だから、奪えばいいし盗めばいい。こういうところに来て、人に会う機会はきっと増えたと思う。その機会をフルに利用すればいい。奪ったり盗んだりすることは、与えてもらうよりずっとしんどいけれど、それができない者はのし上がっていくことさえできないよ」
 だけど、その続きは言わなかった。きっと今の彼ら彼女らには理解できないだろうと思ったから。
 奪ったり盗んだりしたあとは、今度は人に与えてあげなきゃいけないってことだ。誰かに与えた時点で、初めて花が咲くのだ。そして、人に与えるってことは最も難しい。

 私はまだド新人のとき、その頃とても売れていた作曲家やプロデューサーたちに起用してもらった。引き上げてもらった、という言い方がいいのかもしれない。名前も何も知られていないのに、彼らは私を信じて、仕事を託してくれた。その人たちのお陰でここまで来られたと思っている。
 だから、私は自分が売れたとき、その人たちへのお返しに、自分の仕事を新人に振った。名前が知られていようとなかろうと、私が才能があると思った人たちは、周りを説得してでも起用した。
 自分がかつてしてもらったことを、今度は自分がする番である。
 たとえ裏切られようが恩を仇で返されようが、またそんなのはただの自己満足だと言われようが、自分の花を咲かせるためには、相手に水をやるという気持ちが大事なのである。
 事実、新しい人たちは私に刺激をくれた。自分の世界が拡がっていったのは、新しい人たちとの出会いからである。

 しかし、自分が与えるということに関しては、ワンウェイの気持ちでいた方がいい。だけど、人に与えられたときは、それはツーウェイだと思っておかなければいけない。そう考えておくと、人に何かを期待したり、反対に人を恨んだりしなくなるから。
 与えれば返ってくると思うのは間違い。だけど、与えることで何かを得られることは確かなのだ。

 所詮仕事の付き合いなんて、損得勘定でできている。利用できる人がいれば利用すればいい。だけど、自分が人を利用していながら、利用されるのはイヤという考えは変だ。
 与えてほしい、とばかり考えている人たちは利己主義に走ってしまい、そのうち独占欲も強くなって、自分の扉を閉ざしてしまうだけだ。扉を閉ざしてしまうと、いくら人が与えようとしても受け入れられなくなってしまう。与えてくれていることにさえ、気付かなくなってしまう。
 門扉は常に開けておけばいい。私は自分への教訓も込めて、いつもそういうふうに思っている。
 人脈は、与えてこその金脈だ。




 
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