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年明け早々、給湯システムが壊れてしまった。機械まるごと全部取り替えなきゃいけなくて、なんと25万円かかるそうである。
2005年、早速幸先悪いスタートを切ってしまった。これも大殺界の仕業か?
風呂場も洗面所も台所もすべてお湯が出ない。冷たい日々である。
お湯が出ないって、こんなに不便なことだったんだなと実感。コーヒーカップを洗ったり、歯を磨くことすらイヤになってしまう。ほんの30年くらいまでは給湯器なんてものを持っている人すら少なかったはずなのに。文明は人を軟弱にするんだなぁ。
今我が家でお湯が出るのはウオシュレットだけである。しかし、ウオシュレットで顔を洗うのはめちゃくちゃ抵抗があるので、電気ポットでお湯を沸かし、それで顔を洗っている。体を洗うためには、銭湯に行っている。
久しぶりの銭湯通いである。
24歳のときに上京して5ヶ月間は風呂のないアパートに住んでいたので、銭湯を利用していた。その後は風呂付きのアパートに引っ越したので、銭湯に行く機会はまったくなくなった。温泉やトルコのハマムは時々行くこともあったが、町の銭湯となるとほぼ20年ぶりである。
まず入湯料が400円になっていてビックリ。しかも、今どきの銭湯はサウナや露天風呂や薬湯などまであり、温泉の設備と変わらないくらいである。
もっとビックリしたのは、銭湯に人がたくさん来ているということである。私が行くのは夜10時過ぎだけど、いつも混んでいる。
新しく建てられるアパートは100パーセントと言いきっていいほど、ユニットバスが付いている。それなのに、今でも風呂なしのアパートに住んでいる人も結構いるんだなぁと思った。
しかしそのくせ、来ている人たちにはいわゆる「貧乏くささ」がない。高価そうな下着を身につけていたり、結構高いシャンプーで洗っていたりする。
いちいち観察している私も私であるが…。
そんなものに金をかけるくらいなら、風呂付きのアパートに引っ越せばいいじゃんと思っていたのは私だけで、あとで聞いたら、家にちゃんと風呂はあるのだけど、ユニットバスはちっとも体が温まらないから、わざわざ銭湯に来ている人が多いようである。つまり、好きで銭湯に行っているわけだ。
そおかぁ…。私は銭湯にはあまりいい思い出がないので、好んで行くということなど考えもつかなかった。
上京後私はリクルートの販社で営業の仕事をしていたのだが、とにかくこの会社は残業が多い。さらには、同僚同士の飲み会も多く、新人はほぼ強制的に参加させられた。
銭湯は夜11時に閉まってしまう。会社があった渋谷から高円寺まで電車に乗り、駅から私のアパートまで歩いて7 8分。部屋に帰って支度をし、銭湯はそこからまた歩いて10分くらいかかる。毎日が銭湯の営業時間との戦いであった。
また、銭湯はたいてい週1日休みである。休業日の前日、残業が長引いて風呂に行けなかった場合などは結構悲しい思いをした。
私が銭湯通いをしていたときは冬だったので、夏場のような不快さは感じなかったのだけど、それでも髪の毛は3日目になるとさすがに脂ぎってくる。
何日も続けて残業や飲み会で遅くなりそうなときは、同僚の家に泊めてもらったりしていた。
高円寺という近い場所に自宅がありながら、風呂に入るだけのために向ヶ丘遊園や日吉まで電車賃を払って行った。早く風呂付きのアパートに引っ越したいと、そればかりを願っていた。
それ以降、私が銭湯に行ってみようかという気持ちなれないのは、洗面器や着替えを抱えて寒い夜道をとぼとぼ歩いた思い出とともに、私の中で銭湯通いイコール貧乏という図式があるからだ。
また、そのときの仕事はいくら生活のためとは言え、とにかくイヤでイヤで仕方がなかった。そんな日々が甦ってしまうからだろう。
だけど、その頃は私の周りはみんな貧乏だった。みんな、と言うより何かを夢見て上京し、自分の夢にあがいていた人たちと言った方がいいだろうか。
風呂付きのアパートに住んでいるような人は少なく、後で話をするとみんな私と似たような経験をしていた。
アルバイトが長引いて銭湯の営業時間に間に合わず、台所の流しにお湯をためて入ろうとしたら、棚に頭を思いっきりぶつけたとか。玄関(と言うより、靴脱ぎ場と言った方がふさわしいくらいの狭い場所)にたらいを置いて行水をしようとしたら、水が部屋の方に流れていってしまって大変なことになったとか。大きな自動洗濯機を買って、そこに無理矢理入ったとか。
今だから笑えるけど…。若かったから平気だったけど…。
もし今そういう状況になっちゃったら、きっとすごくせつなくなって、人生を投げ出してしまいたくなるかもなぁ。
銭湯通いイコール貧乏というのがなぜなのかわからない、と言われたことがある。わからないのは、そういう経験をしてきていないからである。
貧乏とは縁がなかったから幸せなのか、銭湯通いをした経験がないから無知なのか、そんなことは一概には言えない。言っても仕方がない。
私はただ、夢にあがいていたあの頃にもう戻りたくないなという気持ちとともに、今何も怖がらずに生きていける自分がいるのは、あの頃があったからだと思うだけである。
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