及川眠子HOME
Diary INDEX


<<前のページ | 次のページ>>
2004年12月5日(日)
69.凛とした人

 どういう女になりたいか、またはどういう女でいたいかと問われたとき、いつも「凛とした人」という言い方をする。

 三十代までは、「かっこいい女」でいたかった。何に対しても潔い自分でいる、というのが理想であった。
 でも現実には、なかなかかっこよくなれない。かっこよくいるためには、日々の鍛錬が必要なのである。すべてにおいて自堕落で、面倒くさいことは大嫌いな私にとって、常に尻の穴に力を入れていなきゃいけないような日々はおそろしく窮屈でしんどい。
 また、もともと執念深い性質の人間が潔くいたいなんて、どだい無理な話である。

 さらに、かっこ悪くなる方が簡単だ。このまま精神的にも肉体的にも気合いを入れず日々をおくっていれば、何の障害もなくかっこ悪い路線を歩むことができる。そして晴れて、私の周りにもたくさん生息する、かっこ悪いおばはんたちの仲間入りをさせてもらえる。

 べつにそれでもいいけど、ちょっとくらいはあがいてみたい。あがいたところで老いは止められないんだろうけどさ。せめて「おばはん」ではなく「おばさま」と呼ばれる路線でいきたい。
 しんどいことはイヤなくせに、みっともないおばはんになるのだけは避けたいという、誰が見ても矛盾した考えではある。
 で、なんとなく美しく誤魔化すためにも、この「凛とした人」という理想を掲げた次第である。

 しかし、実際に凛とした女の人に出会ったということがほとんどない。
 見た目より若いとかステキだとか思える女性は結構いるのだけど、それはオシャレだったり、インテリだったり、あるいは経済的にも精神的にも自立しているという程度。なんか頑張っている感じがしてしまうんだよなぁ。

 そう考えてみると。
 晩年の杉村春子はとても凛とした感じがした。テレビで観ただけで、実際には会ったことはないけれど。
 同じく女優の田中絹代なんかもそうだなぁ。
 一種の信念や思想が、その人に凛とした風情を与えるのだろうか。ただ外見や仕草が綺麗なだけじゃ、そういった魅力みたいなものは出ない。

 しかし、同じように信念や思想を持っていながら、アウンサン・スー・チーやサッチャーは凛とした感じがするのに、江青やヒラリー・クリントンには感じないのはなぜだ?
 また、若い頃はあんなにカリスマ性があったのに、年をとったらヒステリックなエコロジーおばはんのようになってしまった重信房子。ヒダリマキ思想よりも、環境問題や有機野菜についてのアジテーションの方がはるかに似合いそうである。

 若い頃はすごく綺麗な人でも、美しく年をとれるとは限らない。年をとってよくなる女とそうじゃない女。その分かれ道はいったいどこにあるんだろう。

 かつて白雪姫だったマリちゃんが、まさかあんなおばはんになるとは誰も想像しなかったことだし、反対に、若い頃はただのアッパラパーなアイドルだった風吹ジュンが、あれほどのいい女優になるとも思わなかった。
 ほぼ同世代とも思われる彼女たちの曲がり角は、いったいどこにあったんだろう。
 持って生まれた素質、と言ってしまえないほどの「技」が隠れているようにも思えるのだが。

 しかし確実に言えるのは、太った女はダメだな。どんなに美人だろうと、太っているだけでだらしなく見えてしまう。
 そうなると、やっぱり日々の努力しかないのか。って、結局同じところをぐるぐる回っているだけじゃんよ、私の考えってばさ。

 できれば天地真理や重信房子にはなりたくない。
 かと言って、吉永小百合や岸恵子にはどうしたってなれっこない。ここまで来ると、すでに天性がモノを言い、根性や気合いくらいでは無理である。

 せめてウエストゴムのスカートはやめるか。
 と、また、妙にピントが合っていない結論に落ち着く及川である。




 
最新情報 メール