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作詞家という仕事は、決められたサイズの中ですべてを表現しなければいけないという制約があるせいか、長いものを書く人に比べて言葉の一つ一つに対して異常にこだわりがある。
たぶん各人によって違うだろうが、どうしても使えない使いたくない言葉というのもある。
私の場合は『青春』だ。
コミックソングになら抵抗なく使えるのだが、真っ当に使おうとするとどうしてもテレが出てしまう。恥ずかしくてなかなか使えないのだ。
でも、『青春』よりも私にはもっともっと恥ずかしい言葉がある。これはたとえコミックソングだろうが、ミュージカルだろうが、とにかく絶対に使えない。他の言葉で何とかごまかす。
それは何かと言うと…『くちづけ』である。
って、ああ書いちゃったよ、くちづけ。恥ずかしい恥ずかしい。
だいたい普通に喋っていて、くちづけなんて言葉使わないだろ?
「昨日、彼とはじめてのくちづけをしてね…」
するか? そんな言い方。
「昨日、彼とキスしてエッチして、うふふふ」
じゃないか?
「君とくちづけをしたいんだ…」
そんなことを言う男がいたら殴ってやる。絶対。
で、私にとっては『くちづけ』と同じくらい恥ずかしいことを言うギャルおばはんが時々いるんだな。
「愛ってきっとね、人を優しくする方法の一つだと思うの」
誰かの詩か? 文章で書くならともかく口で言うなよ。聞いているこっちの方がテレてしまって、何と返答していいのか迷ってしまうぜ。
でも、まだそんなのはマシな方で、50歳も近い女がうっとりとした目をして、
「私がずっと不幸せなのは、まだ見ぬ永遠の恋人に出逢うためなのよね」
ひゃあ ! お願いだから、自分の日記の中だけで済ませておいてくれ! 思わず叫びたくなってしまう。
今まで不幸せだったのは、間違った道を選んできたからだろう。人見知りなのに添乗員になるとか、計算が出来ないのに税理士になるとか、手先が不器用なのにリフォームショップを開くとか。出発点に戻って仕切り直すのは面倒だから、不幸の原因はすべて自分のせいだということを棚に上げて、夢見る方向へ行っちゃう。
また、自分の不幸を男がいないせいにしてしまうのもどうかと思うのだな。
まぁ、要はロマンティストなんだな。男次第でなんぼでも人生が変わると信じている。そして、ギャルおばはんには、このロマンティストが多い。
私なんて愛に対しては、邪魔にならなければすべて愛という名のもとに受け入れましょうって、もう心から大ざっぱになってしまっているから、ロマンティストの気持ちがどうも理解できない。
いやいや、べつにロマンティストが悪いと言っているわけではないよ。
私にとっての『くちづけ』と同じことで、言葉に出して言うなよなぁという感じなのだ。
そして、そういうことを相手の反応お構いなしでぬけぬけと言える夢見がちな心は、言い換えれば「見たくないことには蓋をする」という主義につながることが多い。
戦争? いやっあ、恐いから知りたくない。政治? 難しいからどうでもいい。 犯罪? 私には関係ないから…云々。
そういう『特殊』なことに限らずとも、自分の夢や想いだけを相手に押しつけて、世の中の出来事や相手の意見は頭に入れようともしない。また、知らないでいることが、『きれいな心』でいることだと信じ込んでいる。知らないって自慢げに言われることも多々あるしね。
わからないのは決して恥ではないけれど、知ろうとしないのは自分の成長を止めることと同じじゃないのか。
見たくないことは目をそむけて、自分の夢と理想の中で生きているギャルおばはん。
しかし、私は最近ふと気付いたね。ギャルおばはんがいちばん拒否する言葉。それは『青春』でも『くちづけ』でもなく、『あなたは普通の人』という言い方なのだ。
「それが普通の考え方だから、いいんじゃないの?」
彼女たちの想いに対してこう言うと、必ずと言っていいほどムッとするか、そのあと何も語らなくなってしまう。メールの返事も来なくなる。
「アタシって変わった人だからぁ 」
相変わらず小娘のように、変とか不思議とか呼ばれることに快感を抱いている。
常識に欠けている、ってことを伝えたいために、わざとそういう言葉を使っているんだということには気が付かないらしい。
ふぅっ。
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