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不景気だっつったって、ばっこし稼いでいる人はいるもんで、そういう人たちのご意見を伺おう、出来ればうまい話のはじっこくらいはいただこうってんで、金持ちたちを出演させるテレビ番組も多い。
しかし、どれもこれもみんな同じ。
タレントたちがその人のお宅訪問をして、「きゃーすごぉーい!」とか「まぁー素敵ぃ!」とか言ってるやつばっかり。あとは付け足したような苦労話と、持ち物検査。身につけてるヒカリモノや洋服を褒め称えるってやつだ。
私も嫉妬にくれながら、それでもつい見てしまって、だからいつも思うわけなのだが、どうして金持ちってああも螺旋階段が好きなんだ?
必ず螺旋階段。金があるほど階段の幅も広くなるみたいで、さらに玄関は大理石。キッチンも風呂も大理石。たまに総ヒノキ。そして、お約束したようにアンティークの家具やグランド・ピアノ(誰かが弾くという話は出てこない)が置かれ、陶器で出来た犬や豹があったり、とんでもない金額の絵がかかっている。
また、そんな洋風な内装にも関わらず、時々なぜだか日本庭園があったりして、とてつもなくバランスが悪い家もある。まるで、伊勢神宮の中にベルサイユ宮殿を造ったみたいな感じだ。
要するに、欲しいと思ったものを金に物言わせてぜーんぶ集めてみました、って家なんだよな。人それぞれ、ちょっとずつ趣味が違うかもしれないけれど、コンセプトはみんなほぼ同じ。おおっ金持ちだ!ってすぐわかっちゃうような造りなのだ。
そりゃそうだろう。今まで苦労して金持ちになったんだもの。自分の好きな家を建てて何が悪いって言われちゃ、そりゃすみませんって誤るしかない。
しかし、家に比べてその金持ち本人たちはひどく個性的だ。何がって、見た目が。特に女性の金持ちほど個性的。
タレントたちはむりゃくた褒めているが、頑張ってプラス思考に考えてみても、どうもセンスが悪い。三浦りさ子や長谷川京子がエルメスを持っていると素敵って思えるのに、このおばはんたちが同じ物を持っていても全然欲しいとは思えない。
私は金持ちの彼女たちがとても羨ましいし、もちろん嫉妬心もある。でも、見れば見るほど一種の悲しさを感じてしまうのはなぜなんだろう。
私は彼女(彼も含めて)たちを持てはやすテレビの制作側も、そしてそれを見ている視聴者側も、どこかに彼女たちに対する蔑視が含まれているような気がしてならない。
だって、すごーくセンスのいいお金持ちは世の中にいっぱいいる。先祖代々金持ち、誰が言わずとも血筋がいいって人もいる。でも、テレビはそういう人たちを持ち上げたりはしない。なぜか。
もちろん、面白くないからだ。
「あららぁ 、社長(もしくは先生)! 今日のヒカリモノは一段と素敵ですねぇ」
「そおっ? これはダイヤよ」
「ええっ! さぞかしお高いんでしょうね」
「そんなにしないわよ。300万円くらいかしらね」
ってさ。300万円を事も無げに安いと言いきってしまう金持ちに対して、明らかにオーバー・アクションで振る舞うタレントは、あくまでイロモノ扱いである。そして、そのことに視聴者はしっかりと気付いているのだ。
金持ちだけどセンスが悪い。所詮成り上がりだもんね。かわいそうよねぇ、ってテレビを観ている人たちはたぶん思っているんじゃないだろうか。また、そういった蔑視や憐れみがあるからこそ、ささやかな抵抗を胸に秘めつつも、笑いながら観ていられるのだ。
私の友人の作曲家が長年貧乏した結果、やっとこさヒット曲を出し、それがまためちゃくちゃ売れて、すごい額の印税を手にしたことがある。彼は金が入った途端、ここぞとばかりブランド物を買いに走ったのだが、
「これいいでしょ? グッチだよ。7万円」
「このスーツはね、ドルガバで20万円」
あんた、いちいち金額言うなよな。この成り上がり者がっ! 私は思わず大笑いしながら罵ってしまった。
今までの自分の苦労をわかってほしい。だっていっぱいいっぱい努力してきたんだから。そして、自分の存在を認めてほしいって気持ちが「お金持ちだもーん!」という、見てくれの変化と主張に現れるのだと思う。
それはどこか微笑ましくて、どこかせつない。だから、許されるのだと思う。
身に付いた『ホンモノの金持ち』の人たちは決してそんな主張をすることはないだろう。
でも、やっぱり金持ちって言うか、金に憧れる人は多くて、このあいだも「もし一生かかっても使い切れないくらいのお金があったら何に使う?」と訊かれた。
「うーん……。まず銀行からの借金を返す」
さんざん考えた挙げ句そう答えてしまった私って、あくまで目先のことにしか頭がいかない、あくまでセコい人間なんだろう。おそらくこの先、大金持ちになることもないと思ったね。
だって、さほど泥水も飲んできてないしさ。
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