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ごはんとは米のこと。つまり日本人にとって食事をするということは、すなわち米を食べることなのだ。
しかし、ランチだのディナーだのアメリカ式の言い方がはびこるようになってから、日本人はあまり米を食べなくなった。
さらは最近では、平然とブランチなんて言いやがる人間まで出てきてしまった。ブランチだとぉ? 遅い朝メシって言えばいいじゃないか。昨晩の残り物の芋の煮っころがしと漬け物でメシを食って、なーにがブランチだって思っちゃうぜ。
だけど、世間にはいろいろ文句をたれながら、私自身ずいぶん米を食べなくなっていることに気付く。
若い頃に比べて量をあまり食べられなくなったのが理由なのだが、それでも食べたいものだから、どうしてもオカズに比重がいってしまう。ごはんを残してでもオカズを食べようとする。
さらに、最近では『寝たきり作詞家』と名乗れるほど、一日中何もしていない。体の中にエネルギーが蓄積されていても、それを使うあてがない。要するに、炭水化物をあまり必要としない体に変化しているわけだ。
それでもやっぱり、米を食べない日が続くと何だか寂しくなり、
「ああ、思いっきり白いお米を食べたい!」
まるで戦後の欠食児童のようになってしまう。やっぱり日本人。心から米を愛する民族なのだ。
そんな私ではあるが、最近『どっちの料理ショー』というテレビ番組を観ていて、自分は米よりもむしろ米に合うオカズにこだわる人間なのだということに気付いた。
と言うのは、そのときのテーマが『ギョーザ』だったのだが、
「やっぱりギョーザはごはんに合いますよねぇ!」
タレントが言ったその言葉に、
「えっ、ギョーザってごはんに合うの?」
という疑問を抱いてしまったのだ。
私の場合、ギョーザにいちばん合うのはビールで、つまり私にとってのギョーザは酒のつまみ。もしオカズとしてギョーザを食べるならば、主食になるのはチャーハンかラーメンなどの「味の付いた炭水化物」に限る。ギョーザでメシは食えんだろうというのが見解である。
でも、世の中はそうではないらしい。
以前私のマネージャーをしていた男性は、
「私はマカロニサラダがあれば、ごはん三杯はいけますよ」
というほどのマカロニサラダ・フリークだったのだが、マヨネーズ味のものをオカズにできるなんて、と思ったことがある。
あと、シューマイ弁当が好きという友人相手に、シューマイは絶対にオカズにはならないと言い張ったものだ。
それ以外でも、刺身(生魚)やサラダ(生野菜)、酢の物、天ぷら、しゃぶしゃぶ、かまぼこやハム、シチューを含めクリーム味のもの、トマト味のものなどはオカズにならない。また、味噌汁はいいけど、吸い物はダメである。
とにかく、ごはんに合わないオカズをあげていけばキリがない。
そういうものが食卓に出されたときはどうするかと言えば、先にオカズだけを食べてしまい、残ったごはんをお茶漬けにして漬け物でかっこむ。
さらに私は、ラーメンや焼きそば、お好み焼きなどの炭水化物をオカズに炭水化物を食べるようなこともしない。
「ごはんをお付けしますか?」
よくラーメン屋で訊かれるが、どんなにスープの味が濃いラーメンでも、決してごはんのオカズにはならないと言いきれる及川である。
しかし不思議なことに、おにぎりは好きなのである。米と塩がうまければ、塩むすびもオカズなしでいける。なんでだ? ああそう言えば、生魚はごはんのオカズにはならないと言うくせに、寿司も大好きだ。
私は年に二、三度の割合でトルコに行くが、トルコでも米は食べる。日本のようなもっちりとした米ではなく、タイ米をもっと小さくしたようなかたちで、パサパサとしたものである。
そして、トルコでは米はなんと、野菜扱いなのだ。
熱くした鍋に油を入れて米を炒め、充分に米に油が行き渡ったところで水を入れて煮る。程良く煮えたら、最後に塩で味付けをする。それをオカズに主食のパンを食べるのだ。
「今はダイエットしてるから」
そう言いながら、ごはんだけを食べている女性もいた。たっぷりの油で炒めた炭水化物じゃダイエットにならないじゃんと、日本人である私は思ってしまうのだが、野菜サラダだけを食べるのと同じ感覚なのだろうか。
またトルコでは、焼いた塩サバをトマトやタマネギと一緒にパンに挟んで食べる『サバサンド』なるものが名物である。みんなうまいと言って食べているが、私は全然好きじゃない。
ごはんのオカズに妙にこだわる私は、パンと一緒に食べるものにもこだわる。
私の中で、パンにも米にも合うものはあまり存在しない。
塩サバに合うのはやはり、パンではなく米だろう。
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