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14日、池田小学校児童殺傷事件の犯人、宅間守死刑囚の死刑が執行された。刑の確定から1年。異例の早さでの死刑執行である。
新聞には遺族のコメントとして、
「ようやく区切りがついた」
と書かれており、たぶんほとんどの遺族がこのスピード執行を評価したのであろうと思った。
しかし、私自身は「何もこんなに早く執行しなくとも」という気持ちが強い。
もちろん遺族の悲しみや悔しさを逆撫でするつもりはまったくないが、ただ、己れを振り替えさせる時間さえ与えない期間での死刑執行はどうかと思ってしまうのだ。
宅間自身も早く死にたいということを言っていたらしい。もしそれが彼の本心なのだとしたら、私はむしろ「生き長らせて地獄を味せる」ことの方が、その罪を償うためにいいのではないかと思った。
あんな精神が破綻した獣みたいなヤツは、どれだけ時間を引き延ばしても決して反省もしないし、後悔の念も抱かない。きっとみんなそう言うだろうが、せめて「死ぬことは怖い」と思わせることが必要だったのではないか。
そして、死ぬことが怖いと思えるに至るには、その生をずるずると引き延ばしてやることしかないと思うのだ。
宅間自身が己れの生に執着を抱くまで生かしておいて、それから殺す。それくらいの残酷さが、残忍な事件を犯した者への戒めとしてあってもいい。
ついでに言うなら、私はかねがね日本の刑法には不満を抱いている。死刑の次が無期懲役。つまり「生きてシャバに出られる」可能性のある刑である。
なぜ終身刑がないのか。死刑より軽い刑が無期懲役、なんて軽すぎると思ってしまう。
また現在、死刑執行の方法は絞首刑と限られている。これにも不満がある。
何の情報も公開せずにこっそりと行われる死刑では、死刑という意味が持つ恐ろしさが世の中に伝わりにくい。悪いことをしたら死刑になると言われても、それがどんなことだか、世の中を舐めてるヤツらには理解できないだろう。
それをはっきりさせるには、極端な話、公開処刑しかないと思う。
日本は核家族が進み、年寄りは家族にも看取られず、ひっそりと死んでいくことが多くなっている。そして、人が死ぬ場面を見たことさえないから、死に対する恐れや尊厳が希薄になっている人たちが増えているのである。
ましてや、日本には徴兵制度もない。戦争は遠い遠い国の出来事で、そこで人がたくさん死んでいるのも自分とは関係ない話なのである。
だから、もっと死を見せればいい。死を見せることによって、命の大切さに気付くこともあるだろう。
さらに、それこそ宅間死刑囚のような犯罪を犯した者には、たとえば石投げの刑や拷問に近いかたちで殺すのが妥当だ。
こういうようなことを書くと人権派にあーだこーだ言われそうだが、他人の生の尊厳を奪った人間に対して、なぜ死の尊厳を与えてやる必要があるのだろうか。
苦しみながら死ねばいい。もし私が遺族ならそう思う。
また私は、たとえ未成年であろうと凶悪な罪を犯した者なら、その名前や顔を公開すべきだと思っている。
「子供たちには未来があるから」
そう言って、未成年者を必要に庇う法律はナンセンスだ。
名前や顔を公開され、それによって出所後差別を受けるのなら、それが罪を償うということである。
何も万引きで捕まった子供や、不可抗力で相手を殺めてしまった者たちまで公開しろと言うわけではない。あくまで残忍な、そして悪意が込められた事件を犯した者に限って、である。
かつて治安国家と呼ばれた国は、今や犯罪天国である。凶悪な事件も年々増加している。果ては自分の隣人でさえ疑いかねない状況だ。
目には目を。犯罪には法を。
心が歪んだ者たちに与えるものは、慈悲だけではいけない。
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