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2004年9月13日(月)
49.ジャパニーズ・テイスト

 よその国に旅行に行くと、やはり「その国らしい」物をお土産に選んで買ってくる。
 トルコだったら、セラミック(陶器)やキリム(手織りの布)、ガラスのアクセサリーなど。ベトナムだったら刺繍やビーズの付いたカバンとか、焼き物などもステキだ。中国ではスワトーのハンカチをたくさんお土産に買ってきた記憶がある。
 あとはその国でしか食べられないような、ちょっと珍しい食品。まだベトナム料理がこんなにも流行っていなかった頃、フォー(ベトナム風のラーメン)のインスタントスープを買ってきて、結構みんなに喜ばれた。

 近頃は日本にいても、いろんな国のいろんな物が簡単に手に入るけど、その隙間を突いて「これは手に入らないだろう」というような物を見つけたときはなかなか嬉しい。
 そんな気持ちがあったものだから、私は外国人に物を贈るときも、努めて「ジャパニーズ・テイスト」な物を選んでいた。
 たとえば扇子や和紙でできた写真入れ、和柄の手拭いや浴衣、お箸、招き猫などなど。

 ところが、あるときふと気付いた。そういったジャパニーズ・テイストな物を本当に喜んで大切に使ってくれているのは、何年かでもかつて日本に住んだ経験があって、日本のことをちゃんと勉強している、主に西洋人に限られると。

 トルコ人に限って言えば、彼らももちろん喜んでくれる。ただ、そのあと使っているのをあまり見たことがない。
「このあいだあげたアレ、どうしたの?」
「ああ、あるよ。たぶんどこかに」
「使わないの?」
「いつか使うと思うけど、今は置いてあるんだ」
 てな具合である。

 で、あるとき方向性を変えて、違う物をお土産に持っていった。ユニクロのフリースである。
 ものすごく喜んだね。こんな素材も縫製もいいフリースは、トルコではめちゃくちゃ高いんだと。でもって、そのあとも着たおしてくれている。

 彼らにとって、日本というのはテクノロジーとシステムが発達している国、というイメージが強い。つまり、彼らが尊敬や憧れを抱くのは、決して歌舞伎や着物や焼き物などの伝統的な「日本らしさ」ではなく、SONYに代表される電化製品、TOYOTAなどの自動車メーカー、さらには、医薬品や携帯電話などのシステム機器なのである。

 それを理解してからというもの、私が持っていくのはユニクロの洋服、湿布や使い捨てカイロ、目薬(ロートGのような強烈な物はトルコにはない)、そして、100円ショップで買うジップロックや洗濯ネット、洗濯物を干すタコ足、衣類のカバーなど、トルコでは売っていないような雑貨類と決めている。女の子は化粧品を欲しがるので、それもすべて100円ショップで買っていく。
 お陰でジャパニーズ・テイストな物をお土産にしていたときより、うんと安くすませられる。

 日本らしい物をあげさえすれば、外国人はさぞかし喜ぶだろうと思っているのは、それこそ日本人らしい勘違いである。
 そう言えば、「ひょっとこ」の絵が描かれた団扇をプレゼントしたら、ありありと困惑の表情を浮かべていたのを思い出すなぁ。

 以前、ピースオン(NPO法人の平和団体)のイラク報告会に行ったとき、その会場で売っていたイラク製のショールがとてもきれいだったので、思わず買ってしまった。ところどころがシースルーになっている黒のベルベットの生地に、全体的に金色の模様が施された、ものすごーく派手な物である。
 家に帰って、改めて羽織って見てみたのだが、どうも似合わない。と言うより、確実に着ていく場所がない。
 なので、それをそのままちゃんとたたみ直しビニール袋に入れて、この夏トルコに行ったとき、うちのトルコ人の母親にお土産だと偽ってあげた。
 母ちゃんはそれ以来、誰かが家に来るたび、そのショールを見せびらかしている。そして、見せびらかされた人たちは一様に、
「ステキー! なんてきれいなの!」
「どこで買ったの? 私も欲しいッ!」
「やっぱり日本製の物はいいわよねぇ」
 イラク製だよ。イラクはトルコの隣の国である。おまけに、東トルコに行ったら、同じような物が市場でいっぱい売られていた。
 やはり血は争えないのである。結局、いろんな物を見る機会を与えられても、人は好みの基本は変わらないってことだ。

 私の友人がボランティア活動として、韓国に行ったことがある。戦後韓国にお嫁に行き、それ以来日本の地を踏んでいないという日本人女性のもとを訪ねたのだが、そのとき日本から来た人たちは、彼女の故郷(日本)への郷愁をかきたてるべく、皆で『ふるさと』や『夏の思い出』などの愛唱歌を歌ってあげたらしい。
 ところが、彼女は聴いてはくれているが、どうもイマイチ反応が悪い。そこで誰かがふと「どうかな?」という感じで、
「どーん!と出た花火が・・・」
 という大川興業のパフォーマンスをやってみせたところ、きゃあきゃあ言って喜んだという話である。
 50年以上も彼の地にいれば、体を流れる血自体も変わるってことか?

 長野オリンピックの閉会式に、確か杏里が出てきて『ふるさと』を歌っていたが、『ふるさと』を聴いて懐かしがったり心が洗われたりするのは、はっきり言って日本人だけである。あのときスタジアムにいた外国人たちは、『ふるさと』で日本の良さを理解できるはずもなく、何だか「ふーん・・・」みたいな感じだっただろうと思う。

 ジャパニーズ・テイストなものが好きなのは、もしかしたら日本人だけなのかもしれない。




 
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