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2004年8月23日(月)
『ミリタリー・リリシストへの道』 3
■ディヤルバクル近郊の村
 
ディヤルバクルの市街地にほぼ近い村。イスタンブールのカフェに勤めている友人、 アポくんの実家に立ち寄った。
村で初めての日本人の訪問に、ものすごい歓迎を受ける。
写真は、私を歓迎する宴のために首を切られたアヒル。さっきまで元気に庭を走り回っ ていたのに、こんな目に遭うとは・・・ お気の毒である。
トルコはイスラムの国なので、食べるために生き物を殺す場合は必ず首を刃物で切る。
首を絞め殺したり、電流を流して殺したり、また車に跳ねられて死んだ生き物は絶対 に口にしない。

庭の中央に椅子を置いて、そこに「座れ座れ」と言われる。
その後たくさんの人が集まってきて、みんなで私を取り囲むのだが、私はトルコ語が ほとんど話せないため、全員無言でじーっと私を見つめている。
時々私の方を見てクスクス笑ったり、隣の人間と何か耳打ちしたり。「私はテレビか」 という感じ。

しかし、日本人ってのは皆物知りだと思っているのだろうか、どこに行っても女性た ちから同じような質問をされる。
まず、「肌がきれいになるのはどうすればいいの?」
お金をかければいいのよ、と言いたいのだが、そんなことを言うとじゃあ日本から高 いクリームを送ってくれだのいろいろ言われるに決まっているので、「朝晩、洗顔を まめに」とだけ答える。
「顔に黒い模様があるので困っている」と言うので見てあげたら、それは立派なシミ。 洗いざらしの顔で炎天下に長時間いれば、当然の結果だろう。
結婚を控えているのに、こんな顔では恥ずかしくて花嫁衣装を着られないというので、 とりあえず使っていなかった日焼け止めクリームと泡立てネットをあげた。よけいな 希望を抱かせてしまっただろうか。
次に必ず訊かれるのが、「どうすれば痩せるの?」
近頃の若い女性は、やはり日本人と同じく肥満を気にするみたいだ。
パンと油と甘いものを大量に食うのをやめろ。さらには、夕方以降の乳製品の摂取も 太る原因だ、と言うのだが、「それはできない!」とキッパリ。
仕方ないので、腹痩せとヒップアップに効果がある体操を伝授。
これで安心した彼女たちはさらに食いまくり、さらに肥満していくだろう。

泊まって行けと何度も誘われたが、下痢が快復していなかったため、ここんちのトイ レでは落ち着いてしゃがんでいられないと、丁重にお断りしてディヤルバクルに向か う。
帰り際、村の人間のほぼ全員が集まって見送ってくれる。私は車の窓から笑顔で手を 振り、まるでプリンセス・マサコになった気分を味わう。


■ディヤルバクル
 
下痢が快復せず、ディヤルバクルの病院に。検査を受ける。
マルディンでの治療を話したところ、治療は間違ってはいなかったのだが、もっと強 い薬が必要とのことで、再度注射と点滴。
ここの看護士2人は大バカで、私の肘を折り曲げ、さらに手首の方を上を向けて持ち 上げながら採血するものだから、血が出ないと大騒ぎする。
そんでもって、何とか血を採ろうとして、腕に突き刺した注射針をぐりぐり差し込み、 その上血管を指でぐいぐい押しやがった。
「痛いじゃねぇか! このバカ!」と日本語で罵詈雑言を浴びせまくる。あまりの痛 さに、もう少しで看護士の頭をひっぱたくところだった。
このあと、腕は腫れ上がり、1週間以上青アザが消えなかった。

ちょうどディヤルバクルでは、私が到着した4日前から軍とPKKの銃撃戦が繰り広 げられていた。
私の泊まったホテルからも銃声が聞こえ、ヘリコプターが空を飛び交っていた。
ホテルの窓からの風景と、ヘリコプターを見物する住人たち。
 
私が泊まった5つ星ホテルの部屋。
しかし、窓には思いっきり銃弾のあとが。
ホテルは旧市街地のど真ん中にある。でも、銃撃戦をやっているとは言いながら、街 は普通に稼働していたし、私自身も平気で歩き回っていた。

PKKは一つのグループで、市街地のどこかに隠れ銃撃戦を繰り返していて、ジャン ダルマとコマンドの部隊がその市街地を取り囲み、さらにはヘリコプター(トルコ人 は「パットパット」と呼んでいる)が空から睨みをきかせている。
結局、この銃撃戦はその後1週間ほど続き、3人のPKKメンバーと1人のポリスの 死者を出して、あとのPKKメンバーは全員逮捕された。
ちなみに、ディヤルバクルの住人はその4分の3がPKKのシンパであると言われて いる。
知人のディヤルバクル警察幹部に言わせると、「この街の人間は、公共のものを使っ て金を払わない。生活を良くしようという向上心すらない。自分たちの貧しさをすべ て政治のせいにして、PKKの味方をする」



 
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