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2004年7月22日(木)
43.危機回避のアンテナ 

 ここ5 6年くらいのあいだに限るのだが、私が旅行の予約をすると、何かが起こることが多い。
 まず3年前のベトナム旅行。前日に9.11事件があった。それでも旅行を取りやめずに行ったわけだが、空港はものすごい警備体制が引かれていた。
 次にトルコ旅行。やはり前日にイラク戦争が始まった。このときは、もうすぐもうすぐと言われていたから、べつに驚きもせず予定も変えず、そのまま旅立った。飛行機がガラガラに空いていて、12時間半のフライトをとても快適に過ごせた。
 そして、去年のトルコに行く前には、イスタンブールのモスクや銀行での同時テロが起きた。
 また今回も、飛行機のチケットを予約した途端、私の家のすぐそばでテロリストがバスを誤爆させた。同じ日にイラクで同時テロがあって、たくさんの死傷者が出たため、イスタンブールのこの事件はあまり大きなニュースにはならなかったが、ほんとに我が家の目と鼻の先の出来事だった。
 私の友人にも実際起こった話なのだが、予約していた飛行機をキャンセルしたら、その飛行機が墜落したとか、いつもと違う道を通って出掛けたら、その道が崖崩れに遭ったとか。何の気なしにした行動が自分を助けていることってよくある。
 逆に、いつもと違うことをしたために、事故や危機に遭遇してしまう人たちもいる。これって運なのかな。
 私も以前、そろそろ予約しようかなと思って旅行代理店に電話をすると、直後にその場所に地震が起きて、旅行をあきらめざるをえないことが二度ほどあった。トルコのイスタンブール近郊での大地震と台湾大地震である。
 最近ではそういう「予約をすると何かが起こる」状況に慣れてしまって、行くまでに何も起こらないと逆に不安になってしまう。
 何も起きないまま現地に行くと、病気になったり、代理店のミスでビザが取れていなくて入国できなかったり、また、移動中に車が川に落ちたりしたことがあるからだ。
 むしろ行く前の災難は、厄払いの役目を果たしているのかも。
 3年ほど前、同業者の友人と台湾に行ったことがあるのだが、旅行前に彼女から、
「同じ場所に行って、同じものを見て、同じものを食べて、お互いに感じたものを詞にしたら、どんな違った作品が出来上がるだろうか」
 というような提案をされた。面白そうだから、やってみようということになったのだが……。
 実際に二人で「同じ場所に行って、同じものを見て、同じものを食べて」、そして食中毒になり、夜中に二人して台北大学病院に運ばれた。
 ベトナムでもカンボジアでもインドネシアでも、とにかくどこの国に行っても生水は飲む、道端で売っている得体の知れないものを食うくせに、おなかが痛くなったことさえなかった。
 それなのに、台湾で。あのときはほんとに死ぬかと思った。事前に何のトラブルがなく旅立ったときの方が、こういう目に遭う。
 しかし、事故や災害、テロに関しては、私はこれはもう避けようがないことだと思っている。
 イラク戦争時やテロ後、トルコに行くと人に言うと必ず、
「あんな危険な場所に行くなんて……」
 人からはそう非難された。死にたいのかとか、なんでわざわざ「戦地」に、とまで言われたこともある。
 おいおいちょっと待ってくれ、トルコは戦地でもなければ、危険な場所でもないぜ、と言うのだが、思い込みに捕らわれていて聞く耳を持ってくれない。危ない危ないとまくしたてるだけだ。さらに、勝手に私を「サバイバル好き」な人間だと決めてかかる。
 私は戦場ジャーナリストでもなければ、兵士でもない。ちゃんと調べて安全だということを確認してから赴いている、ただの観光客なのに。
 かつて地下鉄サリン事件があったあとも、人は平気で地下鉄を利用していた。外国となるとなぜいきなり怖い場所になってしまうのか。
 まぁ彼ら彼女らはきっと私もことを心配してくれてるのだし、その好意を無視して無知と罵るのは簡単だが、私も説明してるんだから、せめて少しくらい聞いてくれたらと願うところである。
 そして、帰国後は必ず、
「すっごく心配してたんだからねー! 電話かけようと何度も思っちゃったわよ!」
 小言を聞くことになる。ごめんねー、ありがとうねーとは言うのだが、最近ふと気付いたことがある。
 電話をかけようと何度も思い、そのことを口に出す人ほど、絶対に電話をかけてこないんだということを。
 私の周りにも、仕事や様々な理由で危険な場所に赴く人たちがいる。でも、そのことを聞いても、
「そう。気を付けてね」
 としか私は言わない。
 自らの意志でそこに行く人たちにとって、時として他人の親切すぎる言葉は、迷惑や重荷にも感じてしまうことがある。そのことに私自身が気付いたからだ。




 
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