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2004年6月14日(月)
28.私の体は脂肪でできてるの

「私の体はワインでできてるの」
そんなふうに語ったB級女優がいたけれど、私の場合は脂肪でできてるな。炭水化物好きだし、運動しないし。食べたら食べただけ脂肪と化す。

ま、そんなことはさておき。
人によく訊かれることの一つに、
「なぜ作詞家になったんですか?」
というのがある。どういう理由で作詞家という職業を選んだのかってことなんだけど、そんなこと決まってるじゃん。
音楽が好きだから。以上。

楽器が弾けない。譜面が読めない。歌も歌えない。さらには、企業に所属したりするのも面倒臭い。人に指図されるのは大嫌い。
つまり消去法でいくと、残った仕事は作詞家だけだった。だから、作詞家を目指したというわけさ。
でも、作詞家の中には「音楽が好きだから」で、作詞家になった人は案外少ないみたいだ。みんな「自然の流れで」とか「人に薦められて」らしい。一見華やかな世界に思えるしな。
音楽が好きでなくても音楽に携わる仕事に就ける、というのも運が必要とされるのかもしれない。

「及川さんの『ルーツ』は何ですか?」
という質問もよくある。体は脂肪でできてるけど、頭の中は何でできてるの、ってことなんだろう。
私のルーツ。それはズバリ、松竹新喜劇と花登筺である。
私の出身は関西で、と聞くとたいていの人は吉本新喜劇が好きなのかと思うみたいだが、違うんだなぁ。
松竹新喜劇。もちろん藤山寛美。
土曜日は半ドンで、だから学校から帰ると、決まって昼ご飯を食べながら松竹新喜劇を観ていた。
思いっきり笑えて、最後は必ずほろりとさせる。完璧に計算された笑いと泣き。繊細なボケ。そして、生きること自体に貪婪な人間たちの愛憎や情がとことん絡まり合って、独特の泥臭さを作っていく。
それはまた花登筺作品にも言えることで、私はガキながら一連の愛憎劇にはまりまくって、『細腕繁盛記』や『どてらい奴』を夢中になって観ていたものだ。
最近、ドラマ『牡丹と薔薇』がドロドロで面白くて、というふうに言われヒットしたが、花登作品に比べると大したことはない。
と言うより、単にドラマとして面白いだけで、人生観や人格形成に影響を与えるというまでには至らない。

やはり藤山寛美と花登筺は偉大だったのだよ。
私なんて未だに、地方のホテル案内なんかの中で『山水館』という名前を見つけるたびに、
「加代っ! おみゃあはなぁ!」
という富士真奈美の台詞が頭に浮かんでくるもんな。
そういうわけで(どういうわけだ?)私という人間の、いわば骨格みたいなのをつくったのは松竹新喜劇と花登筺なのだ。

しかしその後、高校生くらいのときに関西系のフォーク・ソングにはまった。
つまり、プチ・ヒダリマキの血が入ったってことだな。
世の中反戦ブームだったし、ヒッピーや左傾思想がムーブメントになっていた。あの頃はヒダリマキってインテリっぽく見えたし。

で、カーリーヘヤーにオーバーオールで、サボシューズ穿いて『春一番』コンサートなどに行っていた私を、突然の雷のように揺さぶったのが梅川昭美の三菱銀行北畠支店襲撃、俗に『ソドムの市』と呼ばれた事件なのだよ。

それ以降、私は犯罪にのめりこみ、とにかく犯罪関係の本を読みあさった。
人の心の闇の部分に興味があったのと、どうしてその闇が表面に出ていくか、その過程が面白かったからだ。と言うより、まかり間違えば私自身も梅川になりかねない、と思っていたところもあったのは確か。
また、フォーク・ソングに傾倒した結果、今こうやって音楽の世界にいるのに、平和主義にも左傾思想にも転ばなかったのは、やはり梅川との「出逢い」があったからだと思う。

でも、オウム事件と酒鬼薔薇事件をきっかけに、私の犯罪熱はすっかり冷めてしまった。
あの二つの事件は、人の心が生み出した闇と言うよりも、闇しか持たずに生まれてきてしまった人間の、典型的な犯罪例のように見えたからなのだ。
生きている環境やプロセスに関係なく犯罪に走る。そういう人間が、たぶんこれからはたくさん増えるだろうってことを暗示したような事件だったね。だから、犯罪自体にもさほど食指が動かなくなってしまった。

最近興味を持ったのは唯一、福田和子だけ。
人が人でなくなってしまい、かたちだけが人であるものたちの犯した事件に、心を揺さぶられることはない。

で、同じ犯罪でも国家がやらかす犯罪の方が面白くなって、戦争関連の本を読んでいくうち、それを伝える側にも様々な思想があるんだということに気付き、今は戦場ジャーナリストおたくの私。
松竹新喜劇と花登筺、戦争と犯罪は果たして作詞の役に立っているのかと問われれば、自分でもよくわからない。

よくわからないけど、人として生きる役には立っているかな。




 
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