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私はそんなに神経質な方ではないと思っている。
以前、ある女性作詞家がテレビのインタビューで、「執筆中は時計の音でさえ気になる」てなことを言っていて、へぇそんなに繊細なら家族はさぞかし大変だろうな、と感じたのを覚えている。
私は時計の音どころか、車の雑音もテレビもあまり気にならない。仕事中にかかってくる電話も取る。忙しいときなど、電話で話しながら詞を書いていたことも。毎日夕方になると、家の前を小学生たちがリコーダーを吹き鳴らしながら帰って行く。そんなのもわりと平気。
詞の場合は、私はウォークマンで音を聴いて書く。だから、よけいなノイズが入ってこないというのもある。普通のラジカセを使って仕事をするという作詞家も結構いるみたいだが、私はそれだと音に集中できなくてダメ。
また私は、緊張と弛緩とを短い時間でくりかえしながら書くという手法を取っている。たとえば3時間で書き上げるとしても、3時間すべて集中しているわけではなくて、頭を休ませながらやるという方法。なので、仕事の途中で遮られても、すぐに「書きのモード」に戻れるのだ。
ついでに言うと、そういうやり方でないと、とても気力と体力が持たない。これは量産をするためのテクニックでもある。
さらに、スタジオのロビーでもコーヒーショップでも、とにかくウォークマンさえあれば、場所を選ばずどこでも書ける。もちろん自宅の仕事場がいちばんいいが、書けと言われりゃいつでもどこでも誰にでも。
それくらいやれなきゃ職業作家とは言えないでしょう、という気持ちもあるしね。
ずいぶん前だけど、スタジオでアレンジャーのオケ録りを聴きながら、別の楽曲の詞を書いている私を見て、スタッフがビックリしたことがある。
「気が散らないんですか?」
「なんで?」
「だって、ほかの曲が流れて(しかも大音響で)いるんですよ」
そのとき詞を書いていた曲は、すでにメロディーが頭に入っていたため、ウォークマンさえ使っていなかった。
耳と頭は使い分けられる。特に締め切りを目の前に突きつけられたとき。やろうと思えば、何でもできるのである。
但し、それは曲先のみの話である。詞先、つまり曲がないところから詞を書かなきゃいけないとなると、ちょっと話は変わってくる。そして、詞先よりももっと状況が変わるのが、エッセイやコラムなどの文章だ。
曲先の仕事をしていても、その楽曲のモードに入るまでは、やはり少なくとも30分くらいはかかる。その間はひどく神経質になるし、ちょっとの物音にも敏感になってしまう。かかってきた電話を取ったり、誰かが玄関チャイムを鳴らせば応答もするけど、おそらくものすごく不機嫌な顔や声で出ていると思う。
でも、いったん入ってしまえば、あとはすんなり。むしろ言葉を探し出すという作業を楽しみながらできる。
だけど、詞先や文章は「モードに入る前の状態」が最後まで続く。詞はまだしも、文章はパズル的な遊びもないので、最後まで苦労して書くことの方が多い。
それはたぶん、自分で文体のリズムを作っていかなきゃいけないことに原因しているのかもしれない。曲があれば、そのリズムやメロディーに乗っかってしまえばいいだけだ。
文章もいわゆる「流れ」に乗って、一気に書いてしまえば楽なのだろうと思う。でも私は、「休み休み書く」ことに慣れてしまっているので、緊張を持続させるのがなかなか大変。
こなれていけば、いつか文章も面白がって書けるようになるのだろうか。
真下でうちの母親が、ステレオをガンガン鳴らしまくる。彼女は耳が遠いから、テレビの音量も大きい。
詞や文章を書いているときに、「日本語の」歌詞が流れてくる。これが非常に耳障りである。
うちの猫のトイレは、ちょうど私の仕事場の入り口のところにある。私が仕事を始めると、なぜか必ず2匹いる猫のどちらかがウンコをしだす。
カシャカシャカシャ…。ものすごく大きな音で砂をかき回し、その約2分後に強烈な臭いが私の鼻を襲う。
夫はリビングでチャットをしている。
最近はパソコンに付いているカメラを使えば、世界中どこでも繋がって、まるで喫茶店にいるときのように会話ができるらしい。
なもんで、それでトルコの従業員や友人たちと話しているのだが、なんせトルコ人は声が大きい。加えて、聞こえにくいものだから、互いにものすごく大きな声で叫ぶように話している。
気が散る。こういうことに、ひどく気が散る。
仕事場のドアを閉めても、ステレオが鳴らす歌は床に響いているし、夫の声が聴こえてくる。猫のウンコの臭いも、ドアの隙間から入り込む。
そして、及川がぶちキレる。
耳栓をすればいいのだけど、耳に物を詰めた違和感に集中力を奪われてしまうので、それもできない。鼻に詰め物をしたら苦しいだけだ。
今どきはほとんど曲先で、ウォークマンをしさえすれば簡単に自分の世界に閉じこもれる。たまに発注のある詞先のときは、みんなが寝静まった頃にやればよかった。
しかし、文章を書くようになってからは「産みの苦しみ」を味わっている。
だから、みんなよそに自分の仕事場を持つようになるんだなぁ。と、妙に納得。
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