及川眠子 Diary日記風エッセイ「ムカつく私がバカなのか、それとも世間が悪いのか」
 
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2007年10月4日(木)
■46.作品は商品

「君の書くものは、所詮商品の枠を出ていない」
 以前、あるプロデューサーからそう言われたことがある。
 それを聞いて、「へっ?」と思ってしまった。なぜなら、私は商品を作っているのであって、それ以上もそれ以外も求めていないから。
 その人が言いたかったのは、「商品でなく作品を作れ」ということなのだろう。つまり、ゲージュツやブンガクをしろってことだ。
 よけいなお世話。

 世の中には、たかだか詞曲が書けて、アレンジなんかも自分でできて、んでもって歌を歌えるというだけで、芸術家だと思っているヤツがいる。自分のやっていることは、崇高なことなんだと信じて疑っていないようだ。
 それはその人自身の在り方なのだし、いちいち批判しない。私は違うなぁー、と思うだけだ。
 でも、時に不思議に思ってしまうのは、そういう人に限って「売れる・売れない」を異常に気にしているってこと。ゲージュツって、時流や物質主義にとらわれず、個人の思想を主張し続けるからこそのものじゃないのかな。
 自称芸術家が、
「いやぁ〜。デイリーで300枚のオーダーが来たんだよ」
 な〜んて喜んでいるのを見ては、ゲージュツもずいぶんセコくなったもんだと思ってしまうのだ。

 さて、及川の作っているものは商品なので(作品という呼び方をすることはあっても)、やっぱり売れる・売れないが気にかかる。売れれば当然印税もたくさん入る。自分の生活にかかってくるので、敏感にならざるを得ない。
 と言うより、売れる・売れないが気にならなくなったら、作詞家という商売の面白みがなくなってしまうだろう。
 やはりヒットを出したい。頑張って書いて、それがぜ〜んぜん売れなかったときの失望感や、予期せぬ大ヒット(新世紀エヴァンゲリオンの主題歌なんかがそうだ)をくりかえしながら、自分もまだまだ修行が足りんな〜と切磋琢磨するわけだ。

 ずっと前の話だが、同業者たちと話していて、
「私はイチバンになりたい!」
 と宣言をしたら、
「それは何の一番? 一番売れるってこと、あるいは実力で一番ってこと?」
 そう突っ込まれた。各作家それぞれの個性で書いているものに、順番など付けようがないんじゃないか、というのが彼の意見。
 うるせぇな。イチバンは一番で、そこには定義も理論もない。べつに「一番可愛い作詞家」でも「一番話が面白い作詞家」でも、何なら「一番金遣いが荒い作詞家」でも、私はいいんだよ。
 とにかく、もっと高い部分を目指したい。自分自身に限界を作りたくない。という意味で言ったイチバンだったのだが、単に言葉尻だけをとらえて、理解されなかったみたいだ。

 しかし、作詞もしくは作詞家というのは、世間にとっても非常にビミョウな位置にあるということがわかる。
 まず人数が少ない。
「プロのカメラマンと、どっちが多い?」
「それだけで生計を立てられるということで比べれば、作詞家の方が少ない」
 カメラマンにそんな質問をされたこともあるけど、自称作詞家、自称アーティストはたくさんいても、それで生活していける人はたぶんそんなに多くないだろう。
 だから、どういうふうに扱っていいのか、時にすごく迷われる。特に、音楽業界じゃない人たちに。

 私の場合、最初会ったときは「センセイ」と呼ばれ、上座に座らされるような大事な扱いを受けていても、そのうち資本主義ばりばりの根性に気付くのだろう。どうもコイツは、崇高な魂も繊細な感性も持ち合わせていないぞ。と。
 あっという間に、センセイから「及川さん」に呼び方が変わる。
 まぁ、もとからセンセイという呼ばれ方は好きじゃないし、センセイと呼ばれなくても気にはしないのだが、だったら最初から「及川さん」と呼んでほしい。センセイから名前に呼び方が変わった瞬間、その人の中で何かが弾け、何かが崩れたのだろうというのがわかって、むしろ私の方が躊躇してしまうからである。

 だけど、作っているのは商品であっても、そこにはきちんと誇りも美意識もある。
必ず80点以上のものを、必ず期日に間に合にあわせ、そして、相手の意に添わなければ、必ず何度でも直しをする。職人としてのこだわりがあるからこそ、より良くより売れる商品を作り出そうという努力をするのである。
 また、どんな仕事でも、結局は面白みを見つけた人間が勝ちだ、と私は常に思っている。
 それにさ。たとえ商品だって、100年歌い継がれりゃ、立派な作品になるんだしね。

 ずいぶん前に、ある大手プロダクションの社長から、
「及川眠子は、作詞という商品を純文学や芸術の域にまで高められる筆を持った、極めて稀な職業作家だ」
 と言われたことがある。
 この言葉は非常に嬉しかった。また、つい慣れや惰性によって詞を書いてしまいそうになるとき、戒めの言葉としても、自分の中に存在している。
 もちろん、他の人には単なる自慢話に思えちゃうだろうけどね。

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