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【ロシア、イスラエル、日本で、私はいろいろな政治家や高級官僚と付き合ってきた。その中で鈴木宗男氏にはひとつの特徴があった。おそらく政治家としては欠陥なのだと思う。しかし、その欠陥が私には魅力的だった。
それは、鈴木氏が他人に対する恨みつらみの話をほとんどしないことだ。はじめは私の前でそのような感情を隠しているのだと考えていた。しかし、二人の付き合いがいくら深くなってもその類いの話がない。また、政界が「男のやきもち」の世界であることを私はロシアでも日本でも嫌というほど見てきたが、鈴木氏には嫉妬心が希薄だ。他の政治家の成功を目の当たりにすると鈴木氏はやきもちをやくのではなく、「俺の力がまだ足りないんだ。もっと努力しないと」と本気で考える。
裏返して言えば、このことは他人がもつ嫉妬心に鈴木氏が鈍感であるということだ。この性格が他の政治家や官僚がもつ嫉妬心や恨みつらみの累積を鈴木氏が感知できなかった最大の理由だと私は考えている。(※佐藤優著『国家の罠』より引用)
ちょっと長くなったが、非常に印象に残った文章だったので、引用させてもらった。
人は嫉妬深い生き物である。いや、嫉妬や羨望があるからこそ、勝ち負けの意識や上昇志向も生まれるのだとも思う。
あの人みたいな暮らしがしたい。あの人にだけは負けたくない。あの人のああいう部分が憎らしい。…常に自分と比べる対象を見つけては、切磋琢磨していくのだろう。
しかし、嫉妬や羨望はいい方向にばかり向いているとは限らない。人に足をすくわれたり、とんだところで落とし穴に落ちてしまうのもまた、人の嫉妬心から生まれることが多い。
最近、及川がフト気付いたこと。
人は案外「雲の上の存在」には嫉妬しない。つまり、うんとお金持ちとか、すごい美人とか、あまりにも高貴な生まれ、なんて人は嫉妬の対象にはならないみたいなのだ。
自分よりちょっと上。手に届くくらいのお金持ちや、自分とどっこいどっこいの容姿なのに妙に異性にモテる人など、そういう対象にこそヤキモチを妬いたりする。
及川は一度、専業主婦である知人から「爪をキレイにしている」という理由で、ちょっと変じゃないのというくらいの嫌味を言われた経験がある。
「いいわね、爪がキレイにできて。私なんていつも炊事洗濯をやらなきゃいけないし。あなたは、そんなこと関係ないもんね」
なんやねん…。
これは私が「女のくせに炊事洗濯をやらない」ことで責められているのか。もしくは、たかが爪に時間とお金をかけてる(と言ったって、マニキュアを塗っているだけだ)ことにムカつくのか。
私は他人がブランド品を持っていようが、容姿が良かろうが、いい車に乗っていようが、まったく嫉妬心を感じない。人の財布にヤキモチを妬いたって、仕方がないことだし。
それに、自分よりいい暮らしをしていて、自分よりお金を持っている人は、きっと自分よりたくさん頭を下げているからだと思う。要は、自分が頑張ればいいだけの話なのだ。
で、そんなふうに人の持ち物に対して嫉妬心が希薄な私が、じゃあ人からの嫉妬にも鈍感なのかというと、それは違う。なぜなら、私もひどく嫉妬深い人間であるからだ。
ただ、私が嫉妬しまうのは、ただひとつ「才能」にである。
ああ、敵わない…。そんな詞を見るたび、私の中にめらめらと嫉妬心が沸き上がる。
正直に言うと、「コイツ死なないかな」くらい思ってしまう。そう、私はとてもいやらしい人間なのさ。
誰の書いた何という詞に対してそう思ったかは、あえてここでは名称を出さないが(死んでくれ、とまで思ったくらいだからさ。もし相手の耳に届いたら、やっぱり気分はよくないだろう)、一度や二度ではもちろんない。
及川は自分にたいした才能もないくせに、人の才能には嫉妬する。また、他人の才能もわかるのだ。
だけど、そんなにすごい才能を持ちながら、時に世に出ず埋もれてしまう人たちもいて、そうなるともっとムカつく。死んでくれと思いながら、自分が評価した才能が世に受け入れられないのは、今度は自分の審美眼が疑われているようで、これはむしろせつない。
嫉妬心とは、不思議なものよのぉ…。
嫉妬は人を醜くする。自分の歪んだ気持ちを正当化するために、人を陥れたり、裏切り行為をする人たちを、私は何度も見てきた。
「なによっ! ちょっとくらいお金があって、ちょっとだけ有名で、たかが作詞家のどこがエラいのよ!」
ちょっとくらいお金があって、ちょっとだけ有名な、たかが作詞家を、私自身はちぃーっともエラいとは思っていないんだけどな。それよりもあなたは、そんな小粒な人間をエラいと思っていてくれたのか?
面と向かってそんなことを言われ、だからその復讐も込めて、あることないこと悪口をそこらじゅうに言いふらしたのかと問えば、
「違うもん、違うもん、違うもんっ!」
陥れるのが目的ならば、もうちょっとうまいことやんなきゃ。それとも、恨まれた私の方が悪かったのか。
あるいは、嫉妬する人間は、人に嫉妬されたがる。私が他人の才能に嫉妬するのと同じく、誰かが私の才能(あるのか…?)に嫉妬してくれることを、うっとりと夢見てしまうみたいに。
「よくデキる子供さんたちがいて、将来楽しみだわねぇ」
そんなふうなことを、ちょっとヒガミっぼくでも言ってあげれば、わりと気がすんだのかもしれないな。
ちなみに、及川には子供がおらず、それを「不幸なこと」だと思ってくれている人たちもいる。子供を生まなかったのは、それを自分が選択したからなんだけど、世間的にそういう理屈が通用するのは、自分と同じで子供を作らない人や独身者や、それ以外の一部の人だけである。もちろん、子供がいる人に対して嫉妬したことは、かつて一度もない。
自分の中で、嫉妬と羨望心をうまく使えば、野心を後押ししてくれる味方になり得る。生きていく力になったりもする。
だけど、それが「負」に傾いたとき。人は悪意という悪意をとことん使って、陥れようと罠を張る。
私だって嫉妬深い、実に狭量な人間である。それは自分自身がよくわかっている。だからと言って、誰にでも親切に(してたって、恨まれるときもある)穏やかに生きるのは無理だ。
けれど、誰も妬まないような、貧乏でだらけた人間になってしまうのはもっとイヤ。
嫉妬されるうちが華、と言った友人もいた。
でも、不細工でたいした知恵もないオバさんなんだからさ。ちょっとくらい暖かく見守ってくれよ。ねっ。
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