及川眠子 Diary日記風エッセイ「ムカつく私がバカなのか、それとも世間が悪いのか」
 
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2007年7月26日(木)
■37.どこまでがあなた?

「やっぱり経験をもとにして書いているの?」
 いまでも、そういうことを聞かれることが多い。
 及川、1000曲以上書いてまっせ。しかも、アニメや企画ものの仕事も結構やっている。
 最近では、『獣拳戦隊ゲキレンジャー』の主題歌なんかもそうだ。まさかあれを「経験で書いた」と思う人はいないだろう。いや、いるかも…。中国の山奥で修行した作詞家だと思われていたらどうしよう。

 愛だ恋だとくりかえしているのが、たいてい歌の詞というものの基本。ゆえに、個人の恋愛経験が書くものに反映しているかを問われているのだと思うが、経験だけで書いていたら、正直言って数はこなせない。
 それに「先方からの要望」というのもある。たとえば、片想いの焦がれるような気持ちを書いてほしいと頼まれたとき、
「アタシって、いままで両想いしか経験ないしぃ〜…」
 では発注に答えられないわけだよ。たとえ自分にはその経験がなくても、それを想像だけで(時には人へのインタビューも含めて)書ききってしまわなきゃいけない。また、たとえ経験がなくてもどんなものでも書ける、それが職業作家というものだ。

 しかし、以前テレビである役者さんがトークしている内容を聞いて、「うーんなるほどなぁ」と思ったことがあった。
 それは彼がラブシーンについて聞かれていたときのもので、彼自身はラブシーンが苦手、と言うよりすごく恥ずかしいということを語っていた。
「だって、監督からの指示どおり、僕自身も演技しているはずなのに、あとでラッシュを見ると、どうも日頃の癖みたいなものが出ちゃってるんですよ」
 日頃の癖、とはつまりプライベートな上でのラブシーンということだ。
 別の人間を演じきっているはずなのに、無意識に生身の自分が出てしまう。他人はそこまでのことは思っていないだろうけど、妙に素裸の自分をさらしてしまったようで恥ずかしい。

 詞もそれと似た部分があって、10代のアイドルのものを書いているのに、現在の自分の気持ちがあからさまに出ているときがある。また、異性の詞を書いても、これって私自身だよなぁと感じることも。
 さらに、すごく「よくあること」なのは、自分の好みの同性像・異性像が出てしまうということだ。

「眠子さんは、頭の悪い女がつくづくきらいなんですねぇ…」
 あるシンガーに、しみじみとそう言われたことがある。
「そんなのまったく意識してないよ。おバカな詞もたくさん書いてるし」
 反論したところ、
「じゃあ、自分のいままで書いたものをじっくりと読んでみてくださいよ。どんなに優柔不断でも、どんなにへこんでいても、眠子さんの詞に描かれている女性は、必ず最後に何らかの決断を下してますから」
 きっぱりと言い放たれた。
 彼に恋をしている。告白しようかするまいか、私は迷っている。…みたいな内容のとき。私の書く詞は、絶対と言っていいほどその状態で終わることがなく、必ず最後に、たとえば「このまま友だちでいる時間を楽しんでみよう」とか「勇気を出して打ち明けてみよう」とか、それなりの答えを出していると言うのだ。
 深いなぁ…。ほんとにそのとおりかも。

 私は自分が迷ったままではいられない性質なので、他人のために書いている詞でも、そんな本音みたいなものが出てしまうのかもしれない。
 その彼に言わせると、私は「強くて決断力のある女」が好きで、それはつまり「頭のいい女」ということで、逆を返せば「頭の悪い女が大きらい」という結論に至るのだそうだ。

 また反対に、男(私にとっては異性)の詞の場合、愚かだったりだらしなかったりする男を書いてくる。あと、生活能力に思いっきり欠けているような男が、私のお気に入りのようである。これは、やしきたかじんの詞に生かされているのかも。
 でも、男はそんな具合であっても、その男が愛する女はやっぱり強くて優しくて頭のいい女である。
「眠子さん自身は気付いていないかもしれませんが、ほんとに同性の好みは徹底してますよ」
 そこまできっぱり言い切られると…。まるでラブシーンを覗かれたみたいな気分だ。

 ほかの人たちはどうだかわからないが、私は感情の赴くままにものを書いたことはない。いつもいったん自分の中に入れて、気持ちを転がしたり冷ましたりしたあとで、改めてそれを文字に置き換えていく。自分が得たもの、そのかたちを変えられると自信がついてからでないと、怖くて書けない。
 それは、生身をさらけだす怖さから逃れるためであり、自分自身というものの核を曖昧にしておきたいがためでもある。

 詞や小説はエッセイなどと違って、やはり「つくったもの」と思われることが多いせいか、
「どこまでがほんと? 全部経験?」
 そんなふうにしつこく聞かれることも少ないが、書いているのが生身の人間ゆえ、どこからか自分がこぼれ落ちる瞬間がある。選ぶ言葉自体にさえ、癖みたいなものが出ることも多い。
 考えてみれば…。自分の嗜好もテクニックも、ともすれば実体験さえ公開しているみたいなもんだ。
 物書きなんて、どこか露出狂に近いのかもしれないなぁ。

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