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という問い合わせが結構ある。
「今さら作詞家になりたいんかい?」
そう思うけど、なりたいんだろう。私だって作詞家になりたかったしな。
基本的には誰もが最初は実績もないしコネもない。自分ではたいしたヤツだと思っているのかもしれないけが、他人が見ればただのチンピラみたいなものだ。
そんなチンピラがのし上がっていくすべはただひとつ。「あきらめない」ことしかない。(こういったことは自著『夢の印税生活者』の中でも記しているので、よければ参考にしてほしい。)
でも、気持ちだけあきらめられないまま、何もしなくていいというわけではない。
努力をするのだよ。努力を。
才能があれば、努力は必ず実を結ぶ。才能がなければ・・・・? 努力は「自分には才能がない」と気付かせてくれる。あきらめるきっかけをくれるってことだ。
メーカー(CD会社)に限らず、音楽出版社、芸能プロダクション、作家事務所・・・・窓口なんてどこにでもある。それを一つ一つ当たってみることだ。
そして、コンペに乗せてもらうように頼む。
最近はほとんどの仕事がコンペである。何人もの作曲家に曲を書かせ、その中から決まったものに、また何人もの作詞家に詞を書かせる。最初から決め打ちで使ってくれるなんて、まずないと言った方がいいだろう。
そのコンペに参加させてもらうために、いろいろと廻ってみる。そのためには、どんな小さなコネだって利用するにこしたことはない。
「俺の友達の彼女がスタジオの受付をやってるんだよ」
そう聞いたら、その受付嬢を紹介してもらい、自分の作品を託して、
「どなたかディレクターに渡してください」
それくらいの図々しさがないとやっていけない。当たっては砕け、また当たっては砕ける。それで少しずつ強くなっていくもんだ。
でも、同時に矛盾するようなことを言うが、そういうことを出来るような人はたいていプロにはなれないんだなぁ。
図々しさというのは時に、胡散臭さと「頭がおかしいんじゃないか?」という印象を相手に与えてしまう。だから、作品がどうのこうのと言う前に、関わり合いになりたくないという理由で相手にされないことが多いのだ。
それでも持ち込んだ作品がビックリするくらいの輝きを放っているものであれば別だが、中庸なものだとよけいにその印象が悪くなる。
どの程度のコネなら利用できるのか、相手に受け入れてもらえるのか、それが本能としてわかる人も少ないしね。
「メーカーも音楽出版社も全然取り合ってくれないんです。だから、どうしたらいいんでしょう?」
とも訊かれたが、取り合ってくれないのは当然。あなたが名もなき素人だからだよ。
もし私が作詞家・作曲家志望の人に、紹介者もなく「作品を見てください」と言われたら、きっと取り合わないだろうと思う。いいところ「じゃあ作品を送ってください」と言うだけだ。
だったらどうすればいいのか?
簡単だ。いい作品を書けばいいだけなのだ。そして、かろうじて「送ってください」と言ってくれた人に、もしくは何も言われなくても持ち込んだり送りつけるのだ。
あるいは小さな小さなコネを利用する。変な人だと思われてもいいという気持ちで。
たかが4・5社廻って「取り合ってくれない」と弱音を吐くのなら、最初から目指さなければいい。
はっきり言うが、現在作詞家が座れる席は少ない。安易にプロになれるなんて思ったら大きな間違い。その少ない席を求めて、現役のプロとともに戦っていかなければいけないのだ。
でも、プロデューサーやディレクターの中には、持ち込まれた作品にすべて目をとおし、たとえ素人でもちゃんと相手と向き合おうとする人たちもいる。
私が何が言いたいか。
そういう人たちに出逢うために、作品を送り続け、またいいものを生み出す努力をしろということだ。作品さえ本当によければ、いつかは採用される。出逢うためのきっかけなんて大したことではなくなるのだ。
もしあなたに才能があれば、必ず光の当たる場所に出て来られる。
かくいう私も「本を出したい!」と思ってから1年間、あらゆる出版社に企画を持ち込んだ。結果1年で2冊の本を出せたわけだが、決してこれで満足しているわけではない。
作詞家としてはある程度実績もあるので、それを説明したらほとんどの編集者(全部ではない)が会ってくれたが、それでも私は出版業界では無名の新人同然である。作詞家を始めた頃よりはちょっとは楽、というくらいだ。
そのことをきちんと自覚しているからこそ、取り合ってもらえなかった場合は、自分の企画力が足りないんだ、もっと努力をしなければ、ということもわかる。
自分はどこの馬の骨かわからないような無名の新人だ。だからこそ、チャンスはいっぱいあるし、努力している時間さえも楽しめばいいのだ。
そう考えられる余裕と前向きさが、プロになるためにはいちばん必要だったりするのだよ。
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