及川眠子 Diary日記風エッセイ「ムカつく私がバカなのか、それとも世間が悪いのか」
 
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2007年6月7日(木)
■30.食うより遊ぶ

 正直なところ、私は現在食うに困っていない。過去にそこそこのヒット曲を出してきたお陰で、その印税で未だに生活できているし、お互いに顔を忘れない程度の間隔で声をかけてくれる人たちとの仕事で、それなりの収入を得ている。
 そりゃあ金はないよりあった方がいいに決まっているし、いくらあっても邪魔になるものでないことだけは確かだ。
  しかし、とりあえず必死にならなくても食えているいま、やっぱり楽しいことをしたいと思うのさ。自分が面白がれなくちゃ、せっかく作詞家になった意味もないってもんだ。

「こんな仕事、ほんとはイヤなのよねぇ…」
 そんなことばかり呟きながら、それでも書かなきゃいけないというような状態であるなら、私はさっさと作詞家をやめるな。んでもって、別の仕事を探す。
 もとより順応性は人より高い。自分が楽しくなれるためなら、ほかにどんな我慢でもできる。それが私の強みでもあるから、いままで怖がらず何にでも手を出してきた。

 本も出した。全然売れねぇでやんの。アルバムのプロデュースもした。やっぱり売れない。カメラマンやイラストレーターたちと組んで、アート詩集なるものをデジタル・コンテンツ機で販売した。いやぁ、損だけして終わっちゃったなぁ。
 それでも「やんなきゃよかった」と思ったことは一度もない。「やっといたらよかった」なんていう後悔より、金を失うことの方がよっぽどましだ。
 だから、手を出す。何にでも手を出す。そのうち失敗することにも慣れ(と言うより、いままで成功したことがない)、益々恐れなくなった。
 私にとって、仕事は贅沢な遊びであり、自分の身や時間を削った退屈しのぎでもある。一生遊んで暮らせたらいいなぁと思うことは、言い換えれば、一生仕事をしていたいということなのだ。

 さて。及川の夫はトルコ人なのだが、そのため年に何ヶ月かはトルコで過ごしている。
 親戚の家を訪問したり、友だちに会ったり、時にはイスタンブール以外の土地を観光したり。そのときそのときで、過ごす方法は変わる。
 しかし、夫はトルコで会社を経営している。つまり仕事をしなきゃいけない。及川に付き合っていられる時間は僅か。夫が仕事に行っているあいだ、私は家で留守番。掃除をしたり、ごはんを作ったり、洗濯したり…。日本ではほとんど母親任せになっていることをやっているわけだ。
 だけど、「専業主婦の時間」は、あっという間に終わる。バカでかい家に住んでいるじゃなし、手のこんだ料理を作るじゃなしとなれば、トルコに滞在している時間のほとんどを「暇こいている」わけだ。

 退屈は、及川の敵である。
 ああ暇だ、退屈だ。何かやることはないか。そんな悩みを抱え、自家中毒になりかけた頃、はたと思いついたことは…。
「そうだ! 仕事しよう!」
 インチキ英語のうえに、トルコ語はまったく喋れない。もちろん、トルコの音楽業界にコネもない。
 なのにどうして、そんなことを思いつくのか。そして、思いついたことを即実行に移そうとするのか。そんな無謀な奥さんに頼られてしまった、可哀想なのはうちの夫である。

 遡ること、約4年前。
「トルコでも音楽の仕事をする!」
 そう宣言した瞬間、夫の目は点。
 それでもエラいもんである。思いこんでいればそのうち何とかなるという手本のように、願いは叶うのだ。

 5月中旬、トルコ人男性と日本人女性のデュエット曲のCDが発売された。日本語タイトルは『伝説の二人』と『アシュクン』。
 おおばせいこ&ブラック・アジズという2人のシンガーによって、トルコで初の(もちろん日本でも初の)企画となったわけである。
 オリジナルの詞を私が手掛け、日本語・トルコ語・英語の3カ国語で歌っている。作曲は日本人、アレンジャーとミュージシャンはトルコ人。トルコでレコーディングをし、ミュージック・クリップを作成。まずはトルコで先行発売をし、その後日本でもCDをリリースする予定である。ちなみに、日本の制作会社は東映音楽出版である。
 思いつきから約4年。さらに、レコーディングしてからからも、すでに1年が経過している。この間、当然ながらいろいろトラブルもあったわけだが、それは本2册くらい書けるほどの濃ぉ〜い内容なので、そのうちにまたぽつぽつと。

 だけど、本音を言えば…。
 やっとこさ発売されたCDであるにも関わらず、及川はすっかり興味を失っているのである。
 と言うよりも、基本的に私の仕事は「歌を入れるまで」だと思っている。詞がOKになり、歌が録音されれば、私の仕事は終わり。あとは勝手にやってくれ、という感じである。

 歌を入れた瞬間に、その歌は私の手から歌手の手へと渡る。私が詞を書いたのは事実だけど、それは私のものじゃないという認識。作詞家という職業に就いて20年余。私は自分の書いたものにこだわるよりも、いかに自分の書いたものを断ち切っていくかの訓練を続けてきた。そこで妙に未練を残してしまえば、次の仕事に行けなくなるから。
 だから、CDが発売され、ミュージック・クリップもトルコのテレビで流れてよかったよかった、なんだけど、実は心はすでに次の仕事に向かっているのである。出来上がってきたCDも、ほとんど聴くことはない。
 この感情もしくはやり方を無責任と取るか、当然だと納得してくれるかは、私にとってさほど重要ではない。人がどう思おうと、私自身が正解ならばそれでいいのだ。

 むしろ、今回の2曲は、私にとってのトルコでのスタートと言った方が、自分でもしっくりくるのかもしれない。実際にすでに次の構想はあるし、仕込みも始めている。
 夫は引き続き私に付き合うことを約束させられ、辟易しながらもそれを正面切っては言えず、いつか私がトルコ音楽に飽きるときが来ることを願ってやまないようだ。

 また、及川は和歌山県の出身なのだが、それに絡んだ企画がいま持ち上がっている。そのために、最近は東京とイスタンブール、さらには和歌山を行ったり来たりの身でもある。
 お陰で当分のあいだは退屈しなくてすみそうな気配。忙しいのはイヤだけど、退屈じゃない日々はステキだ。
 食うよりも寝るよりも、遊ぶために時間を費やしていたい。

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