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このあいだ友人と、格差社会について話した。
その友人も私も、格差のある社会は悪いことだとまったく思っていなくて、むしろその方が国の基盤を安定させるためにはいいんじゃないかという考えでいる。
また、格差社会とは、単に個人の収入に開きがあることではなく、もしかして「人間格差」にあるんじゃないか、という意見も一致。
最近の若者を見て感じるのは、恥を恥とも思わない無神経で無秩序な人たちが増える一方、非常に優れた若い人も多くなったということ。それは単純に学歴とか育ちの問題だけでない。
たとえば先日も、立っているのさえやっとの老夫婦がバスに乗ってきたとき、平然と無視を決め込んでいる人たちが多い中、若い男女がすっと席を立ち、「どうぞ」とその場所を譲ったのを見た。その席の立ち方も、片方がもう片方に促すのではなく、本当に同時に席を立ったのである。そして、それはとても押し付けがましくなく、善意とか労りとかを感じさせないほど自然であった。
その男女に関わらず、最近はそういう仕草の美しい人たちや、べつに難しいことを話すわけでもないのに、とても知性に溢れた若者に、稀ではあるけれど出会う。そして、そのたびに日本人はまだ捨てたもんじゃない、未来は明るいと思えるのである。
これからは数パーセントの優秀な(と簡単に言い切るには語弊もあるが)人間が、そうではないほかの人たちを引っ張っていく社会になっていくだろうと予測している。しかし逆を言えば、程度の低い(これまた簡潔に、悪い言葉だとわかっていて言い放ってしまうと)人たちも増えているように思えるのだ。
そういった人間格差を作るのは、果たして親の躾なのか、育った環境なのか、それとも本人の資質なのか、私にはわからない。
ただ、一億総中流、言い換えれば中庸な人たちだけの社会よりも、優れた人とそうではない人たちが入り組んだ国家の方が面白いのではないだろうか。一部の金持ちと大勢の貧乏人がいる社会ほど、多くの夢や希望が生まれ、野心が渦巻く刺激的な世界になること間違いない。
さて、そんなことを言っている私は、いま金持ちか貧乏かと問われると、そのどちらでもないと答えるしかないところにいる。べつにお金には困っていないが、有り余るほどはない。私の同年代の女性に比べれば、おそらく収入も多いだろうが、その分支出も人より多い。
また、特に贅沢をしているとも思っていない。出てゆく金の大部分を占めるのは「必要経費」だ。自分が生きてゆくために、さらには、会社を維持するためにかかる金額なのである。
じゃあ、何が贅沢か…。
たとえば私は、高級外車や別荘をぽんと買えるほどの金持ちではないが、エルメスやシャネルの製品は買えるくらいの金はある。でも、買わない。なぜ買わないかと言うと、ブランド品にはまったく興味がないからだ。
自分の価値観や美意識に寄り添わないものを、ためらいなく買うことを、私は贅沢だと思ってはいない。
もう一つ例えれば。私は旅行をする際、飛行機はほとんどエコノミークラスで行く。だけど、安いホテルには絶対に泊まらない。道ばたの屋台でごはんを食べたりも、まずしない。
たかが移動のために高い金を遣うのは、私にとっては贅沢というより無駄にしか過ぎない。でも、そこそこ余裕があるのに、あえてバックパッカー御用達のペンションに泊まり、一日いくらいくらで過ごした、みたいな自慢にも価値を見出さないのだ。
多少高くても、自分が気持ちよくなれるために金を遣うこと。それが私にとっての贅沢であり、だから遣ってしまった金に対しての後悔心もほとんどないのである。
エコノミークラスなら10万円で行けるところが、ビジネスクラスは40万円かかるとしよう。その場合、「4回乗れるじゃん」と思ってしまうが、「1泊3万円のホテルだってぇ〜。安ホテルなら1ヶ月いられるじゃん」というふうには思わない。
結構な金がかかってしまったなぁという、一抹の不安感と同じくらい満足感を得られる行為が、贅沢ではなかろうか。
私は洋服が好きで、季節が変わるたびに何枚かの新しい服を買う。時にはそれにまったく手をとおさないまま、次の季節を迎えてしまうことだってある。めちゃくちゃ高いものはもちろん買わないが、いずれもそこそこの値段はするものだ。
それが贅沢というふうに言う人もいるけど、私は「洋服を買う」ことを贅沢だと思ったことはないんだなぁー。なぜなら、それは自分をフォローするために必要なものだと考えているから。つまりは、必要経費の一環である。
しかしそんなふうに、贅沢をすること、そうでないことを区分けして考えられるようになったのは、やはりある程度の収入を得られるようになってからだ。
最近の若者にリサーチをしたところ、「偉くなりたいと思わない」とか「日々暮らせるだけの収入があれば十分」という回答が多いのに、結構ビックリもした。いまどきの人たちは全体的に、高望みもしなければ、たくさん稼ぐためあくせく働くということもしない傾向にあるようだ。
「人生にはお金より大事なものがあるし…」と、まるでジジババのように達観しているのだろうか。そんな人間たちが支えていく国家って、なんかめちゃくちゃ不安を抱いてしまう。
必死に働き金を得て、贅沢をする快感というものも、この世にはある。でもみんな、贅沢をするよりは、お金持ちじゃなくてもいいから穏やかな人生を過ごしたいみたいである。
贅沢は敵という考えを捨てた戦後から、金を欲しがり金に溺れたバブルの時期を通り越し、日本はまたしても妙に質素で堅実な時代に行こうとしているのか。そして、一部の人間だけが、あくまで個を貫いて金儲けに走るのか。
人間自体が二極化していくのならば、どう頑張ったって格差社会は避けられないものになる。
未来はわからない…。
わからないけど、それなりの金をつかんだ瞬間から、貧乏のつらさに気付いてしまった私は、贅沢はステキだと思うだけだ。
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