|
沢木耕太郎著『「愛」という言葉を口にできなかった二人のために』を読んだ。その冒頭がとても心に引っかかったので、ちょっと長いが、その部分を書き出してみる。
【それはまだ私が二十代のころだった。あるとき、はるかに年長の作家と酒を呑んでいて、こんな質問をされたことがある。
「世の中に、愛という言葉を口にしたことがある人と、口にしたことがない人では、どちらが多いんだろう。世の中にというより、日本人には、と言った方がいいのかもしれないけど」
どうだろう。もし日本人と限定するならば、まだ口にしたことがないという方が多いような気がする。あるいは、若い人たちには愛という言葉を口にすることに対する抵抗感は薄くなっているのかもしれない。(※沢木耕太郎著『「愛」という言葉を口にできなかった二人のために』より引用)】
なぜ引っかかったかというと、私自身も「愛」という言葉を滅多に(と言うより皆無に近い)口に出さないからである。
愛しているだの惚れてしまっただの、あなたなしではいられないだの、そんなことをつらつらと詞にしてきて20年余。恋に身を焦がし、生きるの死ぬの状態を書くことはできても、相手に向かって「愛してる」とはなかなか言えない。
また、かつては自分自身もそんな経験もしてきたけれど、そのときでさえ相手に「愛してる」とは言った記憶はない。
「好きよ」というふうには言えるんだけど、いざ「愛」となると躊躇してしまう。気恥ずかしさもある。それは、やはり私が日本人だからなのか。
もともと関西人は「愛してる」という言葉をあまり使わない。最近の若者はどうだか知らないが、少なくとも私より上の世代はそうである。愛していると同じくらい、「すっごぉ〜く好き」は「惚れてんねん」という言い方がふさわしい。
また、「愛」という言葉を相手に伝えてしまったら最後、その気持ちは永遠に絶対のもので、どうにも逃れられない感じがしてしまう。なんだか、もうほかの人を一生好きにならないみたいな重さと言うか…。
だから、きっとこれからも「愛してる」とは、なかなか言わないだろう。特に身内。そんなことをいちいち言わなくったって理解しろよ、って感じだ。
しかし、そういう私って、極めて男的なのかなと考える。
と言うのは。時々テレビで「倦怠期の夫婦」みたいなプログラムをやっていることがあって、それを観ていると、たいてい妻が夫に対して不満を抱いていている理由が、昔みたいに「愛してる」と言ってくれなくなったとか、以前ほど優しくしてくれなくなったとか、そういうことなのだ。
妻は何年経っても、夫から「愛してるよ」と囁いてほしいらしい。ほんとなのか…。
テレビ番組のほとんどは、不満を漏らす妻が綺麗に変身して(美容院に行ったり洋服を選んでもらったり、プロの手によって美しく変身させてもらえるといった内容のもの)、妻の変身ぶりに感動した夫がつい「愛してるよ」と囁く。で、すべてがまるく収まり、ハッピーエンドでよかったねという趣旨で作られている。でも、ほんとにこれで円満解決なのかね。
初老に近いだろう夫が、同じくすでに古ぼけた妻に向かって、「愛してる」と言う。観ているこちらが恥ずかしい。
愛だの恋だのについて書くことを仕事にしているくせに、個人的となると、たとえ手紙にさえ「愛」という言葉を使うことはない。
つまり、私にとっては「愛」はやはり特別なことであり、もうそれ以外の言葉はないというときに使う言葉でもあり、たとえばテレビカメラの前でなんぞ軽々しく言えるもんじゃないってことだけは確かだ。
しかし、外人は違う。いつでもどこでも「I love you」と言っているみたいだ。一日に100回は「I love you」を言わないと離婚される、てな話も聞いたことがある。
朝起きて「I love you」、出掛けるときに「I love you」、昼休みに家に電話して「I love you」、風呂に入った後も「I love you」、ビールをプシュッと開けながら「I love you」、寝言でも「I love you」…。ウザくないのか。
及川は外人に生まれなくてよかったと思う。って言うより、そんなにしょっちゅう「I love you」と言うことで、愛の値打ちが下がりそうなもんだが、そこらへんはどうなんだろう。
もしかしたら、日本人が抱いている「愛」の価値観と、アメリカ人やフランス人が考える「愛」は違うのかもね。
ところで、うちの夫はトルコ人なのだが、やはりトルコ人はアメリカ人みたいにいつも「Seni seviyorum」と言っている。
「Seni seviyorum」は日本語で言うところの、「好き」のもうちょっとディープな感じなのだが、まぁ「好き」よりは「愛している」に近いかな。もっと真剣に男女間のみで言う「愛している」という言葉はほかにあり、それは滅多に言わないようである。
仲良くなった女性に、
「ネコ、Seni seviyorumは日本語で何と言うの?」
そう聞かれたので、「愛してる」だよと教えてあげると、
「ネコ、アイシテル」
いきなりそう言われたことも。
彼女はいたく「アイシテル」という言葉が気に入ったようで(初めて覚えた日本語だし)、その後出会う日本人すべてに「アイシテル」と言っているという話を聞いた。誤解されなきゃいいが。
滅多に口にしないことで、その言葉に深い意味と価値を持たせる。それは私が言葉を操って身を立てている人間だからなのか。それとも、日本人特有の「言霊」の観念からなのか。
言わなきゃ伝わらない、とわかってはいても、簡単には口に出せない言葉もある。
【もちろん、「愛」という言葉を口にできなかった経験は男と女のあいだだけに存在するのではない。親と子のあいだでも、あのとき「愛」という言葉を口に出せていたら、という痛切な思いを抱くことは大いにあるうる。(略)
この日本においても、親と子の関係が大きく変容し、これまでのように黙っていても互いの思いが伝わるとは信じられなくなっている。子供の親に対する思いだけでなく、自明とされていた親の「愛」もまたさまよいはじめているのだ。(※沢木耕太郎著『「愛」という言葉を口にできなかった二人のために』より引用)】
|