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もうずいぶん前の話になるが…。
うちの母親の友人の娘さんとやらが、「作詞家か脚本家か女優になりたくて上京するので、もし何かあったら相談にのってやってほしい」と、頼まれた。
夢は大きく。ま、いいことじゃ。
しかし、「作詞家か脚本家か女優」って言われても。すべて方向性が違っている。いったい何になりたいのか。また、そういうふうにいっしょくたにして並べられると、作詞家も脚本家も女優もすごぉーく安い職業のように感じてしまう。
とりあえず何か言っておけば、そのうちどれかには引っかかるんじゃないの、とでも思っているんだろうか。入学試験の滑り止めじゃないんだからさ。
だいたい「○○か○○」みたいに、自分の夢に対して選択肢を用意している人間に限って、そのどれも叶えられないことが多い。成功している人のほとんどは、「自分には○○しかない」というふうに、確固たる目標を持って進んできている。
そのお嬢さんも案の定というか、夢を叶えることができないまま、いまは専業主婦に収まっている。親元を離れた途端、知り合った男と同棲。数ヶ月後にはデキちゃった婚。ま、よくあるパターンだわ。
もともと夢なんて叶わなくたってよかったんだろう。ただ、その頃は作詞家とか脚本家とかが妙に持てはやされていた。東京タワーが見えるマンションに暮らして、夜ごと有名人やギョーカイ人たちと酒宴を開き、ブランドものを持つような生活。そういうことがしてみたくて、だから作詞家か脚本家か女優になりたかったんだと思う。
でも、仮に作詞家や脚本家がそんな優雅な生活を営んでいたとしても、そこに至るまでの道のりはやはり険しい。もちろん、地味な努力や忍耐も必要とする。
そんなことに耐えるくらいなら、夢はあくまで夢で置いておいて、小さな幸せを大切に育てていくことの方がよっぽど素晴らしい。そう思ったって、べつに不思議はないさ。
って言うか、そういう途を選択する人の方が多いから、とりあえず成功した作詞家も脚本家も女優も(あるいは、歌手も小説家もモデルもすべて)、やはり世間では「特別」扱いしてもらえるのかも。
夢なんてなくったって死にはしない。
よく「いくつになっても夢を持たなきゃ」とか「夢があるから充実した日々をおくれる」とか、夢を抱くことの重要性を説く人たちがいるが、安易に「夢を持ってりゃ幸せ」というわけではない。ありふれた日常を積み上げていく努力の方が、たとえば夢ばかり追いかけて現実を見失っていることより、ずっと難しいし大切である。
いまの私には夢はない。夢はないが、理想と目標はある。曖昧な未来図にしがみついて生きるより、現実のハードルを一つ一つ越えていく方が、自分の人生に手応えを得られるからだ。
だから、安易に「○○するのが、私の夢で〜」みたいなことも口にしない。言葉にした場合は、必ず実現させるという前提付きである。
また、夢はなかなか叶わない。逆に言えば、叶わなくてもそれは夢だから、というエクスキューズができる。そんな逃げを用意して何かに挑むのは、自分を騙しているみたいでイヤだ。
そして、案外夢を実現させた人間の方が、そのあとの人生が大変だったりする。
実際のところ、「作詞家になる」という夢を叶えてしまった私は、自分の夢(叶ってしまえばただの現実)を踏み台として、次のステップを目指すしかない。それしか方法がないのだ。
反対に、夢を叶えられなかった人間は、夢を美しいままずっと心の中に持っていることができる。それは若い頃の叶わなかった恋にも似て、あくまで美しくせつなく胸をキュンとさせるのだろう。
作詞家にも脚本家にも女優にもなれなかったけど、心の中には若い日の自分がまっすぐな瞳で微笑んでる。もしあの頃に戻れるなら、自分の信じた道を最後まで投げ出さずに歩いてゆきたい。…ってか?
好きなことで食ってはいるけど、人生は常にトラブルと抱き合わせ。そんな私から見れば、夢を叶えられなかった人の方が、むしろラッキーなんじゃないかと思うことしばしばである。
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