及川眠子 Diary日記風エッセイ「ムカつく私がバカなのか、それとも世間が悪いのか」
 
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2007年1月26日(金)
■5.この持久力のなさ

「小説を書いてみればいいのに…」
 人からよく言われる。
 以前、本を2冊出したあと。文章が書くことが面白くなってきたので、できれば続けていきたいと思い、いくつかの出版社をまわったところ、
「じゃあ、小説が書けたら持ってきてください」
 何人もの編集者から、そう言われた。

 言っている本人は、私が小説を書けると思ってくれているのか。あるいは、私が小説を書きたいと、好意的に勘違いしてくれているだけなのか。それとも、小説じゃないと読んでももらえないのか。
実は一瞬その気になって、小説を書こうと試みたこともあった。プロットも作ってみた。
その結果。いともたやすく、挫折。

 まず、小説を読まない人間に、小説が書けるわけがない。頭に浮かんだことを、どうやって物語にしていけばいいのかがわからないのである。
しかしそれ以上に大きな問題は、私は一つのことに対して、長期間向き合っていられる持久力がまったくない。
もっと言うと、今考えていることを、次の日に持ち越すことさえイヤなのである。だから、作詞もエッセイも手を付けた瞬間に、何が何でもその日のうちに終わらせる。そうじゃなきゃ気持ちが悪いのだ。
そんな私に、何日も何ヶ月も何年もかかるような小説が書けるもんか。

 このあいだ友人と、人が持っている特殊な能力についての話になった。
たとえば、米原万里さんは「一日7冊以上の本」を読んでいたらしい。本業の通訳の仕事をしながら、依頼された原稿を書き、生活における雑事もこなしたうえでの、一日7冊である。
しかし、ものを書く仕事をしているような人たちにとっては、そういうことは決して珍しくないようだ。きっと速読の技と理解力が備わっているからなのだろう。
でも、私には到底真似できない。子供の頃から本を読んできたのに、どうやったってそんな特技が身につかないのである。私はのろまでもなく、たぶん普通の人よりは思考も行動も早いと思うが、それでもそんなことは無理である。

 またたとえば、私の夫の兄は語学に非常に長けていて、現在8カ国語を自在に操れる。2週間も滞在すれば、その国の言葉がほぼ理解できるようになるとか。
5年以上もトルコと日本を行ったり来たりしているにも関わらず、相変わらず幼稚園児以下のトルコ語しか喋れず、中学から勉強を始め、ベルリッツに200万円以上注ぎ込んでも、未だにまともな英語も話せない。
語学の神様は、私には微笑まなかったのである。

 また、小さい頃からピアノやヴァイオリンを習ってきたため、絶対音階が備わっているという人が、当然ながら音楽関係には多い。一つの音を聴けば、瞬間にしてその音階がわかる。
譜面も読めず(かろうじて譜割りだけは追うことができる)、楽器も弾けない私にとっては、驚異を感じることである。

 それ以外でも、めちゃくちゃ暗算が早いとか、異常に記憶力がいいとか、人と違った能力を持っている人は、世の中にたくさんいる。
果たして、もともと脳ミソの構造が違うのか。それとも、訓練を積み重ねての結果なのか。自分にはない特技を持つ人に出会うたび、人間の持つ不思議な力に一種の感動を抱かずにいられない。
そしてそれは、小説やドキュメンタリーや、とにかく長いものを書く人たちに対しても同じなのである。
本のオビによくある、「構想10年、執筆7年」なんて言葉を目にするだけで、中身の出来不出来関係なしにスゴイと思えてしまう。それだけもの長いあいだ、よくも一つのことに集中していられるなぁ。飽きずに続けられるなぁと感心するばかり。

 しかし、その友人に言わせれば、
「そういうあなたも、人とは違った技術を持っているじゃないか」
なのらしい。
作詞なんて瞬間芸でっせ。やる気があれば、誰にだって歌の一つや二つ作れまっせ。

 だけど、デモテープをフルコーラス(時にはワンコーラス)聴いた瞬間に、詞のテーマや言葉を組み立て、それを短時間で一つのかたちにしてしまう。メロディーを1音たりとも変えずに、その音にうまくハマる言葉を選ぶ。
さらに、その仕事が終わった瞬間に、曲も自分が書いた詞さえも完全に忘れることができるので、同じ曲に何パターンでも違う詞をハメられる。そういうことは、なかなかできないらしいのだ。
それは長年やってきたから身についただけの話。だって、作詞は瞬間芸。自分のそのときの気分も体調も、すべて仕事に影響してしまうから、だから逆にいつもニュートラルな状態でいられるように努力してきただけのこと。

「どれだけ時間を費やしても、できる人とできない人がいる」
彼はそう言い張る。まぁでも、それは正解かも。

 面白い漫画を書く人で、特に登場人物たちが語るせりふがすごくいい。その人に期待を込めて歌の詞を発注したら、出来上がってきたものはろくでもないものだった。てな話を聞いたこともある。
感動的なお話を書けるから、いい詞を書けるとは限らないのである。また、ちょっとばかし詞やエッセイが書けたからと言って、小説も書けると思うのはただの勘違い。いざ自分が小説を書こうと試み、結果あっさり頓挫したことで、それがはっきりとわかった。
文章を書いたりものを創ったり、一見同じような作業を思えても、脳ミソの使い方が違えば、出来上がるものも違うのである。

 あのとき、相手をしてくれた編集者の皆さま。さらには、小説を書けと励ましてくださった友人方。
「…書けたら持ってきます」
とりあえずそう言って、その場を立ち去ったが…。何も期待をしていないとは思ってはいるが…。もし。もしも万が一、待ってくれているならゴメンナサイ。

  及川には小説は書けまへん。そんな才能も持久力も、粒ほどもごぜえませんだ。
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