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先日、学芸大学駅近くの店で帽子を買ったときのこと。
「お姉さんはこの近所に住んでるの?」
中年の男性店員(たぶん店長)に、そう訊かれた。「奥さん」や「お母さん」ではなく、「お姉さん」と呼びかけてくれたところに、彼の気遣いを感じてしまう。
どの辺に住んでいるか、アバウトに説明していると、
「お姉さんは仕事してないの?」
突然話は変わる。
「してるよ」
ちょっとムッとしながら、だけど「専業主婦に見えるのかなぁ」という思いも抱きつつ言い返したら、
「へえ…。あっ、もしかして不動産屋さん?」
…私は不動産屋に見えるのだろうか。もちろん、親しくない人には作詞家だとは名乗らないし、絶対に作詞家には見えないという自信もあるのだが、不動産屋かと問われたのは初めてである。
ある一定の仕事をし続けてきた人の身には、その仕事が持つ特有の「オーラ」みたいなものがまとわりつく。美容関係者はやっぱりその匂いがするし、販売業に携わる人にもそうとわかる雰囲気がある。エンジニアや医者や弁護士なんかも、やっぱりどこか普通のサラリーマンとは違う。
本人が何も打ち明けなくても、「職業は何だと思う?」と訊かれたとき、決して遠くない職種を答えられることが多い。
しかし、作詞家と不動産屋のどこに共通点があるのか…。しかも、私が買った帽子は「毛糸のキャップ」である。まぁ、カジュアルな装いが好きだという不動産屋はたくさんいるだろうが、なんか腑に落ちんなぁ。
「そうじゃなくて、自営業なの」
結局そのように答え(不動産屋も自営業だ)、足早にその店を後にしたが、果たして彼の中で私の職業は何に落ち着いたのか。再度行って確かめたい気持ちである。
よく「人は見た目が肝心」と言う。そのようなタイトルの本も売れている。20年以上も音楽業界で仕事を続けているのに、未だに音楽関係者に見てもらえない私は、この世界にまだ馴染んでいないのか。それとも最初から不似合いなのか。
ここのところ世間を騒がせている事件に、セレブ妻が夫を殺しバラバラにした上、その遺体を捨てたというのがある。
「最近は恐ろしい事件ばかりやなぁ…」
テレビを観ながら、うちの母親が呟く。
「それにしても、この犯人の女の顔。キツいし、狡そうやし。業の深さがそのまま顔に出てるわ」
見た目で決めつける、というやつだ。ほら、ここでもやっぱり「人は見た目が肝心」が生かされている。
でも、そうかなぁ…。と私は思いつつ、適当に相槌を打つ。
ワイドショーのレポーターは、いかに三橋歌織容疑者が残忍な性格で、非道な事件を犯したかということを蕩々と喋り続けている。
“彼女はもともと非常にプライドが高く見栄っ張り。負けず嫌いで、感情的になったかと思うと、ひどく冷静で冷淡な面があって…云々”
はれっ…? 私もそうだよん。
“やられたらやり返す、と本人も文集に書いているように…云々”
やられたらやり返すのって当たり前じゃないの? 我慢したり、泣き寝入りしろってかい。私なんて人から非道い仕打ちを受けたら、10倍返しにしなきゃ絶対に気がすまない。
同性の親友が一人もいないなんておかしい、と言い切ったコメンテーターもいた。仲のいい友人はいるけど、親友なんて私もいないぞ。また、身も心も見せあうのが親友と呼ぶものであるなら、そんなものはいらない。
“今回の事件も、瞬間的な感情で夫を殺してしまったあとで、その後はひどく冷静に証拠隠しを行っている…云々”
カッとなって殺して、あとで証拠隠滅を図るために遺体をバラバラにして捨てに行く。バラバラにしたという部分でのみ、事件の残忍さを訴えるのなら、それは見当違いじゃなかろうか。車も持っていない、ましてや力のない女性なら、バラバラにして捨てに行くしか方法がないだろう。
殺人事件においては、何も彼女だけが突出して「奇妙な行為」を行っているわけではないし、その行為によって彼女の歪んだ性格がわかるということもない。
でも、世間はそこに尾ひれはひれを付けて、セレブな美人妻がとか、もと社長令嬢がとかと言っては囃し立てる。たかが渋谷区の1LDKのマンションに住んでいたというくらいで、地方の中小企業の経営者の娘だったってことくらいで、セレブと括るほどではないと思うんだが。それと、はっきりと言うが、彼女はさして美人でもないよ。
私自身も、プライドの高さは周囲が承知するところだし、気が強くて見栄っ張りなのも、みんな気付いている。もし私が夫に対してムカついて、そんでもって一時的な感情で殺してしまったりしたら、やっぱり世間は同じように書きたてるんだろうなぁ。
“及川容疑者はものすごく業が深くて、どうしようもない女である。なので、このような事件を犯してしまったのも、まぁ当然と言えば当然かも…云々”
そして、それを見た一般視聴者たちは口々に言うのだろう。
「ほら、見て。この眉間の皺の深さときたら…。いかにもタチの悪そうな女の顔をしてるわ」
でも、そこに「美人作詞家」というふうに付け加えてくれていたなら、及川はめちゃくちゃ嬉しいぞ。
まったくの冗談ではなくて、私も何かの拍子に人を殺めてしまうかもしれない。その可能性はゼロとは言えないだろう。誰だって心に何らかの「闇」を抱えている。
ただ、自分でも持て余すほどに感情の起伏が激しく、なかなか人を許すことができないタイプの私が、今まで殺人にまで至らなかったのは、やはり自分の中に「ブレーキ」があったからに他ならない。
私の場合、そのブレーキとは、自分の感情をぶつけるものがあった、ということに過ぎない。つまり、作詞という仕事を選んだことで、日々の喜怒哀楽や寂しさやはがゆさ、すべて書くための肥やしに変えることができる。また、仕事をとおして人との距離感も図れるようになった。
そして、それ以上に言えるのは、仕事をすることで経済的な自立ができたということだ。
経済的自立ができていない者に、精神的な自立は無理である。経済的に自立できていれば、とりあえず一人でも生きていける。また、それが負に向かって走る自分へのブレーキとなる。
仮に歌織容疑者が、それなりに打ち込めるものを持っていれば…。せめて経済的に自立していれば、「夫がいること」に固執せずに、夫婦仲が崩れだした時点であっさりと離婚を選んでいたのかもしれない。
まぁ、それも所詮は想像にしかすぎないのだが。
事件は人の評価を変えていく。セレブ妻が鬼嫁に。美人が夜叉に、と。それは見た目でそう判断されるのではなく、事件のフィルターをとおして、世間が勝手に「その人の見た目」を作るのである。
不動産屋系作詞家(ああ、自分で言っちまったよ)の及川は、テレビに映る自分に似た業の深さを引きずる人を観ながら、そんなことを考えて続けていた。
私の足下のブレーキは、今日もちゃんと利くだろうか。 |