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2006年9月27日(木)
35.格差社会は是か非か

 総裁選の直前、あるテレビ番組が3候補(安倍、谷垣、麻生)をスタジオに呼んで、各自にいくつかの質問をしていた。
 各局のアナウンサー、もしくは文化人と呼ばれるコメンテーターたちが仕切っているような番組は、政治家をゲストに招いた場合、投げかける質問がたいてい「視聴者に向けてわかりやすく、だけどちょっとまぬけ」なものが多い。その番組でも、やはりこれは二者択一でどちらかを選べないだろうという質問が多々なされていた。

 その中でも最もまぬけだったのは、
「これからの日本の在り方について、どちらがいいでしょうか。1、少数の金持ちが貧乏人を支える社会。2、国民全員が中流階級に所属する社会」
という質問。思わず笑ってしまった。
こんなことを聞かれて、明確にどちらかを選べる政治家は無能である。(幸いにして、3候補とも「選べない」と答えた)
特に2番の「国民全員が中流」なんて、一見すごく理想的に感じるかもしれないが、早い話社会主義国家である。日本を北朝鮮やキューバのようにする気か。
また、1番の「金持ちが貧乏人の面倒を見る」のも、貧乏人にとってラッキーと思える社会なのだろうが、努力して金持ちになった人間のやる気を削ぐだけである。
1と2と、どちらにしても三流国家になることは間違いない。

 国が発展するためには、ある程度の格差は必要である。格差社会とはつまり、一生懸命頑張れば地位や名誉や金が手に入る、という夢が残されていることと同じだと思うからだ。
しかし、こういうまぬけな質問がなされるのは、やはり日本人が「一億総中流」であることを望むからなのだろうか。事実、年収2千万円以上の人が増える一方で、年収2百万円以下の低所得者たちもまた増えていると聞く。中産階級であったはずの自分がある日突然リストラに遭い、一家は離散、たちまち奈落に転落、なんていうシナリオも現実味を帯びて迫ってくる。
「ま、でもそうなったらそうなったで…」
というふうに楽観的に考えられないのも、日本人の特徴なんだよなぁ。

 ところで最近、テーマが似通った2冊の本を読んだ。ボリー・トインビー『ハードワーク〜低賃金で働くということ』とバーバラ・エーレンライク『ニッケル・アンド・ダイムド〜アメリカ下流社会の現実』である。
トインビーはガーディアン紙に所属する、英国人ジャーナリスト。エーレンライクは一時期タイムに所属した後、現在はフリーで有名誌紙に執筆をしている米国人コラムニスト。両者とも50歳を過ぎた女性であり、いわゆるインテリ層(それもトップクラスの)、中産階級に所属する人たちである。
副題を見ておわかりのとおり、この2冊は「ワーキング・プア」をテーマにしている。ミドルクラスに所属するジャーナリストがその身分を偽り、低賃金労働者たちの世界に飛び込み、彼らの暮らしを実体験するというノンフィクションである。

【…時給はわずか3.4ポンド(690円)になる。これで何が買えるだろう。安売りのチェダーチーズひと塊、ジャーナリストとしての私が自宅から職場まで乗るタクシー代の4分の1、洗剤ひと箱、ワイン1本、映画の入場券半枚。8時間分で質実剛健な歩きやすい靴。9時間分で大劇場のチケット1枚。新品の眼鏡が買いたかったら安物でも2日間働かなくてはならない…】

  1. ボリー・トインビー『ハードワーク』より引用

 うーん…。
かつて私も貧乏だった頃があった。上京して後、作詞家としてとりあえず売れるまでの約3年間ほどである。実際に「ものすごーく大変だった」のは1年くらい。
ただ、あの頃は「お金がない」のだけが悩みであり、それ以外のストレスを抱えずに暮らしていた記憶がある。若かったからかもしれない。そんなにつらいとも思わなかった。
だけど、現在それなりに稼げるようにもなった私自身が、あの頃と同じ収入で暮らせと言われたら、きっと今の自分の状況と比較してひどくみじめな気分に陥っただろう。それはやはり贅沢を知ってしまったことに原因する。

 トルコで、テキスタイルの工場で働いている女の子と知り合いになった。朝8時半から夜9時半まで連日働いて(土曜日は半ドンで日曜日は休み)、1ヶ月400ドルだと言っていた。また、彼女の友人は民間病院で雑役の仕事をしている。その子のお給料は月200ドル。
私が先日トルコに行ったとき、「履きやすいし形も悪くないし、さらに安いから色違いで2足」買った普段履き用の靴の値段が合計200ドル。「たまには日本食も食べたいよね」と言いつつ、仕事関係者たちと一緒に行った日本食レストランの金額が550ドル。
もし誰かに、「彼女たちの生活を目の当たりにして、自分の消費行動と照らし合わせたとき、うしろめたい思いに囚われないか」と聞かれたら、はっきり「囚われない」と答える。なぜなら、現在の私の状況は自分の力で得たものであるからだ。
だけどそう言いながらも、妙に後味の悪い思いが胸に残るのも事実だ。

 働いても、一生懸命に働いても楽にならない人たちがいる。社会に必要とされる職種なのに、低賃金であるばかりか時には軽蔑され、貧しい暮らしを余儀なくされている人たちがいる。アメリカン・ドリームは本当に夢にしか過ぎなくなってしまったのだろうか。
人に夢を抱かせ努力をさせるために、格差は必要である。しかし、宝クジにしか夢を賭ける場所がないような社会なら、社会主義国家の方がましだとも思ってしまうのだ。

 安倍新内閣は、果たしてどんな方向にこの国を導いていくのか。

【…長年暮らしてきた街の姿は、まったく様変わりした。楽しみが減り、選択の余地も減ったロンドンは、退屈でみすぼらしい場所に変わった。懐に余裕がないため、あらゆる行動が制限された。植えない程度に食べることはできたが、楽しみ抜き、アルコール抜きの食事は味気なかった。しゃれた店が視界から消えはじめて、原題に生きる人同様、私にとってもショッピングがどんなに重要だったか気付かされた。(略)世間並みの楽しみを与えてくれるあらゆる場所に「立ち入り禁止」の大看板がかかっているようなものだ…】
※ボリー・トインビー『ハードワーク』より引用




 
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