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2006年6月28日(水)
32.便利な言葉

 援助交際を扱ったテレビ番組を観ていて、フト思ったこと。
  援助交際って、つまり「売春」でしょ。なぜ売春だとはっきり言わないのかな。
  そういう遠回しな言い方をすることで、彼女たちが「体を売っている」というリアルさが薄れちゃっている気がする。何と言うか、少女期の「一過性のあやまち」みたいにしか響いてこない。
  街角や出会い系サイトで知り合った男たちと、金欲しさに数時間を共に過ごす。もちろん体も差し出す。それは立派な売春だ。援助交際という言葉に変わったからと言って、本人たちが許されるわけではない。

 それと同じように。浪費癖を「買い物依存症」と呼ぶのも、何か変だな。
  浪費癖だとあくまで自分自身のせいって感じだけど、買い物依存症という言い方はまるで病気がアタシをこうさせてるの、アタシは全然悪くないの、と言い訳しているように聞こえる。
  私が浪費をくりかえしていた頃は、そんな便利な言葉はなかった。また、自分が病気だとも思わなかったし、つい浪費してしまう私を可哀想だと慰めてくれる人もいなかった。私はただのアホだった。でも、それで納得するしかないんだよな。

 そんなふうに新しい言葉がどんどん認知され、ついでにどんどん物事の核心から遠ざかっているように思える。
  ある分野に関して、やたら凝っていたり蒐集癖がある人のことを、私たちはかつてマニアだと呼んでいた。でも現在の感覚でいくと、マニアはもっとライトな感じ。そういう人たちはヲタクと呼ばれる。
  ヲタクも以前は薄汚いイメージだったのが、いつの間にか悪い部分が拭い去られてしまった。って言うか、ヲタクが増え過ぎちゃったせいだろうか。
  言葉は多様化すると共に、持つ意味をも変化させる。

 もっとムカつくのは、フリーターやニートって言葉だ。
「あ、俺っすか。今、フリーターやってんっすよ」
  いい年をして堂々と言うな。ちょっと後ろめたそうな目をして、「アルバイトで何とか食ってます」くらいのことを言えんもんか。
  無職や定職に就かない人間を甘やかすような呼び方をするから、彼らは自らを改めないのである。また、フリーターやニートでありながら、社会の一員のような顔をするのである。
  税金を払っていない人間を、私は「社会人」とは呼ばない。いつまでも親のスネをかじってぷらぷらしているようなヤツらからは、選挙権も取り上げるべきだとも思っている。まぁ、選挙権を持っていても選挙に行かないから、べつにどうってことないんだろうが。しかし、持っていたものを取り上げられるのは、なかなか悔しいぞ。

 私は自分が言葉を紡ぐことを仕事にしているという理由もあって、あえて曖昧な言葉は使わないようにしている。相手を慮って、わざと回りくどい言葉で伝えようとしているのだろうが、どんなに言葉を濁しても、相手に届く重みは同じだ。
  その代わり、自分が放った言葉にはきちんと責任を持つ。それで相手にイヤな思いをさせてしまったのなら、納得するまで話し合うし、決して逃げない。
  また、どんな言葉を使ったところで、人は傷つくときは傷つくし、逆にささいな言葉が人を救うことだってある。

 しかし、遠回しな言葉が増える一方で、市民権を得たような言葉だってある。「更年期障害」がその一つ。
  10年も前なら、更年期障害なんていわゆる「日陰の言葉」であった。相手に向かって言うのは、もちろんタブーとされた。だけど、最近では(私もそうだが)、
「更年期障害だもんねー」
  堂々と言える人が多くなった。と同時に、更年期障害が決して恥ずかしいものでも、隠さなければいけないものでもないという風潮に世間が傾きだした。いいことだ。これは木の実ナナさんの功績だと思っている。

 時代は新しい言葉を生む。その言葉につられるように、新たな価値観や風俗が生まれる。
  だけど、もう曖昧な表現は要らない。また、自分の愚かさに「それっぽい」名前を付けるのもどうかと思う。





 
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