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もうずいぶん前の話だが。ある有名人の、あるエピソードをもとに作られた再現ドラマをテレビで観た。
実はそれは私がスタッフとして関わっていた出来事であり、だから「ある有名人」「あるエピソード」としか書けないのだが、ストーリィーとしては感動的な内容であった。
しかし、その番組を観ていたかつてのスタッフが全員、
「えっ!?」
と思ったのは確かである。それくらい脚色されていたのだ。もちろん、その有名人が「精神的にも強く、徹底したプロフェッショナルである」というふうに視聴者に思わせるようにだ。
あとでみんなと会ったとき、あれって全然違うよねぇと笑ったのだが、まぁでも誰も怒らなかったし、それだけのことで終わった。
なぜなら、あれはあくまでテレビという媒体を意識した作りだったし、有名人本人のイメージを良くするためでもある、ということが了解できたからである。そんなことでいちいち目くじらを立てるほど、私たちは子どもではない。
私は基本的に、歌手やアーティスト、俳優なんて職業は、「実像」と「虚像」の間を行ったり来たりしている人たちであると思っている。物書きなんかもそうである。
バカ正直に自分をさらけ出す必要なんてない。また、「真実」などという大事なものは、たやすく人に告げるものではないとも。
どこからがホントで、どこからがウソ。…そんなことを勘ぐってみたところでしょうがないし、また、プロフェッショナルならホントかウソかなんて、相手に感じさせる隙を与えてはいけないのだ。
私はよく「書くもの」と「本人」がまったく違う、と言われる。
詞に限って言えば、たとえばアイドル歌手に書いているのとアダルト系に書いているキャラクターは違う。当然である。企画モノになると、また違う。
「この人はいったい何が書きたいの?」
そういうふうに言われたことも多々あるが、今では「何でも書ける職業作家」というようにみんな認識してくれるようになった。どうも女性作詞家には少ないタイプみたいだ。
で、職業作詞家だというのはわかったが、こうやって書いた文章を読むと、詞とキャラクターが異なる。さらに本人に会うと、書くもののイメージとまた全然違う。…らしい。
「ホントのあなたって何?」
そう訊かれても、ホントもウソも私の中では全部同じものなのである。
もっと言えば、私は「及川眠子」というキャラクターを演じている。私が書くもの、時には私自身でさえ、私が演じる人間の一つなのだ。
と、ここまで書いて、うーんこれはいわゆる「乖離性人格障害」ってやつじゃないかとも思ってしまったのだが、私の場合は完全に意識下で自分をコントロールしているのだから、単なるナルシストに過ぎないだろう。
話は変わるが…。
たとえば私の著書でも、このDairyでも、私はいかにも「自分をさらけ出している」ように思われるが、実際はほとんどの部分がそうではない。真実なのはただ一つ、「私の考え方」のみである。
また、何らかのエピソードを例に挙げるとき。そのことに関して100パーセントの事実を書かない。少しでもマズいと感じれば、絶対に相手の名前を出さないし、物語そのものを脚色することだってある。
なぜそういうふうにするかと言えば、私の想いを伝えるために事実はさして重要ではないと思うからである。
作詞なんて特にそうで、書く歌手によって私自身のキャラクターもイメージもすべてを変える。それでも煮詰まらない、世間を偽っているという気持ちに陥らないのは、私は歌手という存在を借りて、私の想いを伝えてきたからである。
最近ではみんなブログをやったり、インターネットの掲示板に書き込みをしたり、誰もがいっぱしの物書きのようである。中にはめちゃくちゃ文章が上手な人もいる。ものすごーく冷静な観察眼を持った人だっている。
だけど、ブログをやっているからと言って、誰もがプロになれるわけではない。
プロフェッショナルとアマチュアを分けるものが、絶対的にある。私が思うに、それは「サービス精神」である。
とても綺麗な写真を使い、とても上手に文章を書いていても、そこには「自分」と「その周辺の人」しか存在しないことが多い。いくら友達間では評判が良くても、それだけではプロの物書きとは言えない。
また、真実を書くことで誰かを傷つけてしまう恐れがたとえ僅かでもあるのなら、それは避けるべきである。事実だから何でも書いていい、というのは愚かと言うしかない。
さらに、やたら自分の考え方を強要するような人もいる。そんなものはうざってぇだけじゃん。想いは強要するものではなく、伝えるものなんだよ。
どうでもいいような話の断片を拾ってきて、それを脚色し、さらに人に面白がらせ、そしてきっちりと自分の想いを伝えていく、というのがプロの手法である。
自分のことしか書いておらず、なのに多くの人に支持され売れている人のエッセイは、たいていこのサービス精神が含まれている。ちゃんと「読ませる」ように書いているのだ。
こういうふうにばらしちゃうと、短絡的な人は、
「なんだ、ウソを書いてんのかよ」
ガッカリしてしまうかもしれない。
だけど私は、100パーセントの事実でできたくそ面白くない話より、10パーセントの事実をうまく脚色した面白い話を作ることに懸命でありたい。
他人の事実だけを垣間見て楽しみたいのなら、そんな「私の日記公開」的なブログはたくさんある。そちらをどうぞ、だ。
作詞家である私は、いろんなものを売りにする。自分の経験や、時には他人の経験でさえも利用して書いているという意味において。だからこそ、最も大切なことは自分の中に隠しておく。
真実なんて、酒の席でぶちまけるか、信頼できる人にだけ打ち明ければいいものだ。
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