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『恋多き女と呼んで』とは、私が書いた詞のタイトル。それこそ恋多き女だった30代の頃に書いたものである。
さて、先日医者から「まさに更年期障害ですね」とキッパリと言い放たれた。このあいだまではプチ更年期だったのに…。
相変わらず続いているアレルギーの症状。加えて、ホルモンバランスが崩れたために自律神経がやられ、睡眠中に異常なまでの歯ぎしりをするように。そして、そのせいで顎関節症になってしまった。それもこれも全部更年期障害の仕業らしい。
しかし言い換えれば、それだけなのだ。
得体の知れない不安感に襲われる、なんて昔からそうだった。こんな浮き沈みの激しい業界にいれば、不安感を抱かない方がおかしいってもんだ。
突然怒りだす、のも昔から。だって、世の中には腹が立つことがいっぱいあるじゃないか。突然怒りだしたくなるのも思い出しムカつきも、仕方がないってもんだ。まさか優しくしてくれる相手や通りすがりの人間に、いきなり噛みついたりはしないさ。人格障害者じゃないんだから。
なもんだから、友人に言わせれば、
「えーっ。眠子さん、全然更年期障害じゃないですよ! だって私、もっとヒドい人たちを目の当たりで見てきましたもん」
らしい。
更年期障害にもいろいろあって、それこそ汗をだらだら流しつつキィーキィー喚き散らしている人もいれば、鬱状態に陥って一歩たりとも外に出られなくなる人もいる。逆に、私の更年期はいつだったのと言うくらいに、何事もなくその時期を迎え過ぎ去る人もいる。
人生いろいろ。女もいろいろ。更年期もいろいろ、なのだ。
お肌の曲がり角を過ぎて早や20年。今は体の曲がり角。なかなかしんどいですわ。ま、人生は曲がり角ばっかりだったから、曲がることには慣れてはいるんだけどね。
何がしんどいかって。まず体力がなくなってきた。そのせいでもともとなかった持久力のなさに磨きがかかり、さらには瞬発力も相当衰えた。
で、気付いたのは、体力がないと恋ってできないんだなぁってこと。
それこそ30代はバリバリに元気だったから、出会う男すべてを恋愛の対象として捉えた。ときめかない男は友達に、少しでもいいなと思う男とは恋愛に発展させるべく努力をし、の毎日であった。
私の恋愛事情をよく知る友人たちは、「血中イタリア血の濃い女」と私を呼んだ。つまり、出会った女性はとりあえず挨拶代わりに口説くという、イタリア男みたいってことだ。
また、「ワンクールの女」とも呼ばれたもんだ。男を3ヶ月(ワンクール)交代で回していくという意味である。
しかし、恋多き女でいられたのは40歳の声を聴くまでのこと。現在は、恋愛感情なんて最初から投げ捨てている。自分が既婚者であるという理由ではなく、いちいち恋愛に結びつけて考えるなんて面倒くさいからである。
人の紹介かなんかで知り合って、そのあと二人で食事に行って、それから恋のかけひきが始まっちゃって…。嫉妬したりされたり、ささいな言葉にも傷ついちゃったり…。彼は私のことをどう思っているんだろうか、なーんて気持ちが四六時中頭を離れなくて…。
ああっ、めんどくせえ!
そんなことをやっている暇があるなら、企画書の一つも書き上げた方がいいってもんだ。第一忙しいんだよ、私は。三つも病院を掛け持ちしているしさ。
獲物を求めて走り回るチーターのようにはなれない。また、チーターの餌食になるまいと必死で逃げるカモシカにもなれない。プカプカとだらだらと、陸と水中を行ったり来たりしているワニのような日々。瞬発力も持久力もないから、現状維持を続けるのみである。
でも、私と同世代でも、恋に燃えている人たちはたくさんいる。私がめんどくせえと思うことを、日常としていられるような人たちである。(以前の私もそうだったんだけどね)
そういう人たちを見るたびに、
「元気でいいなぁ…」
まるで棺桶に片足を突っ込んだバアさんのように呟く私である。
女として終わっちゃってる、と言われればそれまで。今は女としてうんたらよりも、しなきゃいけない大事なことがほかにたくさんあるのさ。たとえば、定期検診とか…。
だけど、うちの母親を含め60代以降の女たちは、私と同世代よりもはるかに元気である。彼女たちを見ていると、恋に悩む40代なんてすごーく大人しく思えてしまう。
膝が痛いだの風邪が治らないだのぶちぶち文句を言いながら、法律さえ変えてしまうんじゃないかと思えるようなあのパワーって何だ?
子育てを終え、閉経し、更年期障害なんて過去のひとコマとなってしまったとき。あんなふうに、すべてを吹っ切ったようなパワーが湧いてくるのだろうか。
それはさしずめ、精神の曲がり角なのか。 |