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2006年4月23日(日)
22.年齢相応 2

 人の紹介や仕事で出会った若い子に、Winkの詞をずっと書いていたという話をすると、
「えーっ! 私、子どもの頃によくカラオケで歌ってましたぁ!」
 時折そう言われることがある。
 先日も桃井はるこというアキバ系のシンガーに詞を提供したのだが、彼女が小学生の頃に私が書いたアイドル系の歌をよく聴いていてファンだった、というのがオファーの理由であった。

 ちなみに、Winkが活動をしていたのは、1988年から1996年までの約8年間。ちょうど日本がバブル期の終末を迎えた頃から、経済不況の時代に入っていくまでである。
 私が詞を提供したのは、デビュー3作目から約5年に渡って。その後はいったん彼女たちから離れて、最後のアルバムに何曲か書いた。
 Winkははっきりと「解散宣言」をしたわけではなく、何となくうやむやなまま二人での活動を停止したという状態ではあるが、おそらくこの先もたぶん再活動はしないのでは、と思っている。

 彼女たちに書いた詞は、トータルで58曲。数えてみるとそんなにたくさんの詞を提供してきたわけではない。でも、あの頃は四六時中Winkに関わっていたような気分であった。
 一昨年くらいから、Winkのプロデューサーだった人とまた一緒に仕事をしているのだが、あの頃の話になると二人とも、
「とにかく忙しかったよねぇ。何していたかも覚えてないよねぇ」
 という意見になる。
 年に4枚のシングルと2枚のオリジナル・アルバム。それだけでも大変なのに、ベスト盤やビデオやすべてをこなしていたプロデューサーは、私とは比べものにならないほど忙しかっただろうと思う。

 そして、解散からすでに10年の月日が経過し、Winkの二人も今や30代の後半。私が最初に会ったときは、相田翔子は19歳、鈴木早智子は20歳だったのに…。
「眠子さんは全然変わりませんねぇ」
 そう言ってくれるけど、二人の方こそ若い頃のまま変わっていない。「あっ!」と言う間に時間が過ぎてしまったから、年をとったのに気付けていないのか。

 しかし、前述の「子どもの頃に聴いていました」発言を聞くとやっぱり、ああずいぶん時間が流れたんだなと実感する。小学生の頃にWinkを聴いていた子が、今や社会に出てバリバリに働いているのである。
 また、そういう発言を隣で聞いていた人が、私に対して気の毒そうな表情をすることが時折あって、それがなかなかおかしい。言ってしまった本人も、それで「しまった!」と思うみたいで、ごめんなさいと謝られたりすることもある。
 年齢をあからさまにするようなことを言って、どうも傷つけたと思うみたいなのである。
 私は自分が年をとったことを気に病んだりしていないんだけどなぁ。

 それよりも、かつて一緒に仕事をしていたアイドル歌手が大人になって、結婚して子どもが産まれたなんていう話を聞くと、突然自分に孫ができたような気分になる。自分でもちょっと不思議である。
 もっと複雑な気持ちになるのは、一時期は売れていたアイドルが落ち目(イヤな言葉だなぁ)になって、再起を賭けてヘアヌードになったとき。それを偶然目にしてしまった場合なんて、思わず雑誌を閉じ、
「ああ、お母さんはあなたのこんな姿を見たくなかったわ」
 まるで離れて暮らす母のような思いに囚われるのである。

 私が関わってきた子たちは、できれば幸せな道を選んで引退するか、実力派シンガーとして世に残るか、どっちがであってほしい。いつもそれだけを祈っている。
 だから、たとえ一過性の繋がりにしか過ぎなくても、私は彼ら彼女らのために自分がやれる精一杯の仕事をしようと思うのである。

 初めて会ったときは小学校6年生だった早坂好恵も、今や30歳である。その早坂のレコーディング・スタジオに、よく堀越学園の制服を着て遊びに来ていた夏川りみ(当時は星美里という名前だった)も、貫禄たっぷりの姿をテレビで目にする。
 中山ヒデちゃんだって、初めて会ったときはまだ19歳の少年だった。今では髪も薄くなりかけ、すっかりおじさんになってしまったけど。
 及川もしっかりおばさんになるはずである。

 この先どんな出会いが待っているのかはわからない。また、以前一緒に仕事をしたり遊んだりしていた人たちと、また新たな交流が始まることだって、きっとあるだろう。
 過ぎた日々に思いを馳せるより、失ってしまった若さを嘆くより、私はただ未来に期待したい。そして、重ねていく年齢と同じスピードで、自分を生きていきたい。
 人生はなかなか長く、だけど時が過ぎるのは早い。




 
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