及川眠子HOME
Diary INDEX 2005


<<前のページ | 次のページ>>
2006年4月14日(金)
20.部屋を飾る

 私の友人には、部屋の飾り付けに凝る人が多い。たとえば、エスニック風にしたりロココ調にしたり。その人の趣味が反映された「素敵な部屋」に暮らしている。
 また、部屋の模様替えは気分転換にもなる。テーブルの位置を変え、カーテンを新調するだけで、気持ちはずいぶん変化するようだ。

 私も部屋の飾り付けにはこだわる方であった。…と過去形なのは、今は全然こだわっていないからである。
 エスニック風にしたりロココ調にしたり、ささやかな「異国風情」を楽しんでいられるのは、はっきり言って家の総面積80平米までである。
 もしくは、掃除をしに来てくれるお手伝いさんがいるとか、専業主婦で暇を持て余しているとか、そんな人たちだけだと思う。

 現在130平米の、それも一戸建てに住む身としては、家の掃除をするだけでいっぱいいっぱい。お手伝いさんもいない、仕事も(たまには)している人間には、とても部屋のことまで構っていられないのである。
 さらに、二匹の猫までいる。どんなに綺麗に飾り付けしたところで、リビングの絨毯にゲロを吐かれる。花は弄ばれ食いちぎられ、時には花瓶ごとひっくり返される。イタリア製の革張りのソファーはすでに爪研ぎと化し、毎日掃除機をかけているのに、家中にはふわふわと猫の毛が舞っている。
 ああ、やっと掃除が終わった。と思った瞬間に、尻にウンコをつけたまま走りまわる猫を目撃した日には…。掃除する気持ちすら失せること、しばしばである。

 おまけに、うちには年寄りがしょっちゅう出入りをしていて、来るたびにわけのわからん壺を買ってきたり、友達にもらったという激しくセンスの悪い置物を持ってきたり。
 とりあえず置ける場所に置いておけばいいやという感覚で、リビングのテレビの隣に置かれた5キロ入りの米の袋。いちいち2階まで持って上がるのが面倒くさい、だから次に2階に行くまではとりあえずここに置いておこう、という理由で階段に放置されたタオルや新聞の類。
 おしゃれな暮らしも何もあったものではない。

 ここの家に引っ越してきた当初は、部屋のデザインをいろいろ考えたり、インテリアや小物にも凝ってみたりした。でも、そんな気力は時間が経つうちに薄らいでいくのである。
 さらに、次はやっぱりマンションにしよう、なんて思っているものだから(つまり、ここに一生住もうなどとは思っていないから)、家に手をかけ金をかけるなんて無駄だとあきらめる。
 人が来たときに恥ずかしくなければいいや。そんな最低限の感覚で過ごしている私である。

 でも、トルコの家には猫もいないし、年寄りも滅多に来ない。すべて私のやりたい放題。だから、素敵な空間にしよう。…頑張るのかと思いきや、たまにしか行かないものだから、もっともっと手をかけない。
 とりあえずメシが炊けて、寝られて、荷物が置けりゃいい。まるでドミトリーのような状態である。

 まぁもともと私は、インテリアだの何だのには興味がない。部屋のいろんなところにいろんな飾り物があるのも、実は大嫌いである。
 シンプル・イズ・ビューティフル。要するに、なぁんにもない部屋にゴロンといるのが好きなのである。
 もしくは、3畳一間くらいのスペースに生活用品すべてをコンパクトに収納して、いちいち立ち上がらずともすべての用が済ませられる。まるで飛行機のトイレのような具合の部屋か。
 しかし、現在はその両方とも敵わない。荷物が多いからである。いっそすべて捨ててしまうか、あるいは荷物を全部倉庫に預けて、最低限必要なものだけで生活をし、何かが必要になったときはいちいち倉庫まで取りに行く。そんなふうにするしかないのである。
 仕事部屋という名目で別にアパートを借りて、そこを自分の居心地のいい空間に作り上げてみようとかも考えたが、ドミトリーをもう一つ増やすだけの結果に終わりそうなので、それもやめた。

 部屋を飾る。そして、その素敵な空間を持続させるというのは、やはり余裕がなければできないのである。
 私にはそんな余裕がない。って言うか、ソファーに掛けるカバーにパッチワークを施したり、ベランダでガーデニングを楽しんだり、そんな暇があるくらいなら、本の一冊でも読んだ方がいいと思っちゃうタイプなのである。
 だけど、その本も今や溜まりに溜まって、そろそろ置き場がヤバい。洋服や小物は平気で人にあげるくせに、本とCDだけはどんなにつまらないものでも、捨てたり売ったりすることができない私。
 素敵な生活は、遠くなる一方である。




 
最新情報 メール