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2006年3月7日(火)
13.探しものは何ですか?

 このあいだ本屋に立ち寄ったとき。女性向けのコーナーを見ていて、相変わらず「自分探し」関係の本が多いのに気付いた。自分が何なのかを探りたがっている人はいっぱいいるってことだ。
 で、本を読んで、探していた自分は果たして見つかったのだろうか。
 ニートもフリーターもバックパッカーも、カルト系の教団にハマるような人たちも、みんな自分を探して彷徨っているんだろうな。その道の行き着く果てに、答えが待っていてもいなくても、とりあえず若いうちは時間もたくさんあるし、好きにやればいいと私は思う。他人事だし。

 しかし最近、40歳過ぎても自分探しをやっているような人たちも多いということを知った。
 親にパラサイトして自由気ままに生きるシングルや、または経済的にも困ることない専業主婦たちがある日突然、
「私の人生、これでいいの?」
 てな感じで、目覚めてしまう。ああ自分を探さなきゃ。生きている意味を見つけなきゃ。
 結局は習い事をしてみたり、ボランティアにのめりこんでみたり、もっと現実的な人だとパートに出てみたり…。主婦やOLの場合は、いったん社会を経験してからはまった迷い道なので、わりとすんなり抜け出ているみたいだけど。
「このままじゃ私の心が死んでしまう!」
 今まで散々面倒を見させられた挙げ句、そんなこと言われちゃった親御さんやだんなさんの心境っていったい…。

 だけど、どうしてみんなそんなに自分を探したがるんだろう。生きることに意味や証明なんて必要なのか。と、生まれてこのかた一度も自分を探したことのない及川は、そう思ってしまう。自分らしさとか私のままとか、みんな好きだよなぁ。

 先日、夫のいとこで敬虔なイスラム教徒の男性と話をしたときのこと。
「死んだらどうなると思う?」
 彼が訊くので、
「無になる」
 実にあっさりとそう答えたら、ものすごい勢いで反論が返ってきた。
「だったら、今なぜ僕は生きてるんだ?」
 死んだら「天国」もしくは「楽園」とやらに行ける。そこには苦しみもつらさもない。彼はイスラムの教えのとおり、そう信じて生きてきた。
 もちろん彼は、私がイスラム教を崇拝しておらず、また日本人の思想や価値観でものを言っているということは充分わかっているのだが、どうにも納得がいかない。
「死んでも天国に行けないのなら、このつらい現世は何のためなのか?」
 おーい。私は宗教家でも哲学者でもないぞぉ。だから、理論的には説明できない。と言うより、そこまでの英語力がない。

 今が悲しいと思う。苦しいと思う。それはなぜか? 楽しさや嬉しさを知っているから、悲しみや苦しみがわかる。幸せがあるから、人は不幸の意味を知る。生きているってそういうことなんじゃないかな?
 私はそのように説明したが、彼の方としては質問の意図をはぐらかされたようで、どうにも不満そうだった。

 だけど、私はやっぱりそれが人生だと思うのだ。
 喜びや悲しみを綴りながら、与えられた命を懸命に生きていくことが、人としての使命だと考える。そして、そんな日々の積み重ねの中で、自分の生きる道を選んでいくのではないだろうか。
 ただ闇雲に自分を探しても、袋小路にぶち当たるか道に迷うだけ。道の向こうにもきっと答えはない。もちろん「天国」もない。自分自身が選んだ「道」だけがあるのだ。
 その道のことを「生き方」と呼ぶ。生き方に迷っているから、きっと自分を探すのだろうとも思う。

 私は自分に自信があるから、自分探しをしたことがないのではない。
 あっちかなこっちかなといつだって迷いながら、また悩みながら、だけど道を歩くことをやめなかった。つまりずっと歩き続けているので、立ち止まって自分を振り返るような暇もなかったということだ。あまり人生を深く考えてこなかった、という理由もある。
 また、若いときから妙に「自分にはあまり時間がない」という脅迫観念を抱いてきた、ということも関係してるのかもしれない。
 命は限りあるものだ。いつまでも若くいられないし、突然の事故や病でいつ死んでもおかしくない。

 自分探しをすることは決して無駄ではないし、他人のやっていることをとやかく言うつもりはないけれど、とりあえず立ち止まるのは時間を限定しての方がいいと思う。
 じゃなきゃ、自分を探すよりも前に、人として使い物にならなくなる恐れがあるからね。




 
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