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人はどこまでも卑劣になれる。
インターネットの普及が進むにつれ、そのことが如実になってきた。
私のところにも、名を名乗らず(ハンドルネームとやらは、私は名前と見なさない)誹謗・中傷のメールが届くことがある。
また、悪質な書き込みも留まることを知らない。あまりにもひどくなりすぎたため、私は『GUESTBOOK』を廃止した。真面目に書き込んでくれていた人や、楽しんで見てくれていた人たちには、本当に申し訳ないと思ったのだが、そうせざるを得なくなった。
私の書くものへの反論なら受けて立とう。だけど、メールで送られてくる誹謗・中傷は、主に「何を根拠に?」と言いたくなるような個人的なことばかりである。
《作詞家だからって、エラソーにするな!》
べつにエラソーにした覚えはないのだけど…。
《あなたには悪い霊が憑いてます》
おいおい…。
《僕のカノジョを、あなたのダンナに盗られました》
《彼には何人も恋人がいて、その女たちから金を巻き上げてます》
いい加減にしてほしい。
何をチクってんだー、という感じである。おまえのカノジョを盗られてムカつくんなら、直接本人に向かって文句を言ったらどうだ。バカものが。
《調べてみたらわかりますよ》
そんなお暇はございません。
なぜゆえそういうことをするのか、また、そこまでできるのか。私には疑問しか湧かない。そして、確実に思うのは「関わり合いになりたくない」ということだけだ。
また、匿名の悪意にへこむほど、私はヤワじゃない。
言い換えれば、君の悪意がこうして私の怒りに火をつけ、それがものを書くパワーにと変換される。私はそれでまた稼いでやる。
ありがとねー。
以前、私の知り合いのシンガーに対する誹謗・中傷のメールが、業界中に流されるという事件があり、私もそれを見せてもらった。
書いている本人は、あくまで「正義の味方」を貫き、自分の良心に従って密告したみたいなことを延々と述べていたが、とにかく悪意のこもったヒドい文面であった。
それは当然、本人にも知れ渡ることになる。彼女はメールを読んだあとに、ただ一言。
「有名税よね」
そう呟いたそうだ。
おー、強いなぁとそのときは思ったけど、きっと内心は腸が煮えくりかえるほどの怒りでいっぱいだっただろうし、自分の周りの誰がこんなことをやったんだという悲しみが溢れていただろうと思う。
それを一生懸命堪えて「有名税よね」と言ったのは、顔を隠し名前を隠した卑劣な者への、せめてもの意地だったのだろう。私はこんなことくらいじゃ負けないよ、と。
そのことをふと思い出した。
そう。有名税である。
悪意を送りつけてくる連中は、きっと私よりも有名じゃない。いや、ただの無名の人間たちなのだろう。夢があるんだかないんだか、自分のやりたいことも敵わず、ただ無為に人生をおくっているだけの人間だろう。
もっと言おう。たとえ正義の仮面を被っていても、君たちの心にあるのは、ただ嫉妬心だけだ。世間に名前が出て、ちゃんと評価されている私のような人間が、悔しくて悔しくてたまらないのだ。
まっとうな人ほど、正義を振りかざしたりしない。自分の生き方を貫いている人は、匿名で相手を貶めたりしない。
私は、たとえば他人のホームページに書き込みをするときも、誰かに抗議をするときも、きちんと自分の名を名乗る。面識のない相手にメールを送らなければならないときは、自分の連絡先を記し、プロフィールを添付する。
それが君に出来るかな?
嫉妬心や劣等感が、人を卑劣にし愚劣にしていく。
ただ、もう一度言おう。そんなヤツらとは関わり合いになりたくない。
【付け足しとして】
これを書いたあと、Yahooのニュースを見ていたら、「イラク人質事件の今井さん、中傷・批判の手紙を公開」というトピックスが目に入った。
2004年4月イラクで一時拘束されたフリーライターの今井紀明氏が、当時自宅に匿名で届いた中傷や批判の手紙類の公開をブログで始めた、ということらしい。
これは彼なりの「仕返し」なのか。それとも送りつけた相手への反省を促すためのものなのか。もしくは、このブログのタイトルともなっている『向き合いの中から生まれるもの、それは対話』のとおり、お互いの誤解や不理解を対話によって正していきましょう、という主旨のものなのか。
私にはわからん。
ただ私は、世の中には理解し合える相手とそうじゃない相手がいるということ。理解し合えない相手に、いくら闘いを挑んだところで時間の無駄だということ。それだけははっきりと言える。
少なくとも、下劣な相手と同じ目線で対話する気はない。
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