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2006年1月26日(木)
3.褒められ上手

 実は及川、日頃案外褒められ慣れているので、褒められるということに対して免疫ができている。また、やたらと相手を褒めまくるような人を信用しない。

 私が褒められるのは、たいてい作詞家という職業への評価で、
「いやぁ、才能がある人は羨ましいですなぁ」
 みたいなこと。
 書いた作品を1曲も聴いていないくせに、単に作詞でメシを食っているだけでイコール才能がある(確かにそれは間違いではないが)という褒め方しかできないのもつまらなくないか。
 適当に褒めておけば相手を傷つけることもなく、好印象を抱かせるだろうと考えているのが見え見えで、きっとこいつとこれ以上話しても無駄なだけだという結論が見えてくる。
 どうせ褒めるのなら、もっと頭を使った褒め方をしてほしい。

 もうずいぶん前のこと。Winkのプロデューサーだった人が、私が書いていった詞を見て一言。
「眠子さんの詞は、いつも退屈しないんだよね」
 この言葉はとても嬉しかった。だから、未だに覚えているのだが。何年も一緒に仕事をし、ずっと私の書いた詞を見てきて、そしてふと呟いた言葉である。
 今までやってきて本当に良かったと思える瞬間は、こんなところにあるのだ。そして、こういうものこそ私が最も欲しい言葉であり、信用できる褒め言葉である。

 褒めて伸ばせ。子育てに限らず、部下に対してもこの方法を使ったりするようだ。
 褒められれば人は気分が良くなり、また褒められようと努力をするようになる。適当におだててうまく人を使うのが、優秀な上司と言えるのだろう。
 あるいは、結婚当初は家事一切できなかった妻をそれでも褒めまくり、何年か後にはとても料理上手、掃除好きの女に仕立てたというような男もいる。
 ブタもおだてりゃ木に登る。とにかく褒めることは、人を育てたり使ったり、またパートナーシップを培う上でも大事なことなのだろう。

 ところがどっこい。
 私は褒められるということに対しては、まるで不感症。むしろ貶される方が発奮する人間なもんで、同時に人を褒めることも苦手である。褒めるのが下手なのだ。相手の長所を見抜いて褒めてやり、うまーく育てるなんてことはできない。
 それに気付いて以降、私は従業員(マネージャー)を使うことをやめた。どんなにしんどくても自分一人でやる方が、精神的にも楽だとわかったのだ。

「こんだけの給料を払っているのだから、その分の仕事をするのがあなたの義務でしょ」
 私にはそういう考え方しかない。また、そういう考え方しか持たない人間が人を使うことは、基本的に無理なのである。
 もし人の力が必要な場合は、パートナー的に組んで「リスクは半分ずつ、儲けも半分ずつ」みたいなやり方をするしかないとも思う。
 さらに言えば、人に褒められても大して気持ちに変化がないのは、私は自分の評価しか信用していないからだ。自分がいいと思えばそれでよし。ああ、典型的なワンマン社長だなぁ。
 でも、だからこそ自分の看板を背負って、今までやってこられたのだとも思っている。

「私って、今まで一度も人に褒められたことがないんですよぉ…」
 先日、そう語る女の子に出会った。それもまた珍しいなぁ。
 しかし、彼女と話していてわかったのは、人は結構彼女を褒めているのだが、本人はそれに気付いていないということである。あまりに自信がなさすぎて、人の褒め言葉をすんなりと受け入れられないのである。
 人が彼女に言った褒め言葉に対しても、
「でも、私なんてダメだからー」
「だって、何をやってもうまくいかないしー」
 とにかく「でも」と「だって」の応酬である。信じようと信じまいと、人が褒めてくれているんだから、とりあえばその場はお調子良く振る舞えばいいのにと思ってしまった。これではせっかく褒めてくれる人の気分を萎えさせる。

 まぁ私も人のことは言えず、
「そうっすかー。ありがとうございまぁす」
 みたいな非常に素っ気のない返事をしてしまうことが多いのだけど。

 でもさ。
 そんな私であるからして、人を褒めるときは本当に心から褒めているのだ。嘘偽りなく「すごい」と思ったときは、きちんと思いを伝えている。
 長い付き合いの中ではそれを理解してくれる人は結構いて、
「あなたに褒められると、誰に褒められるよりいちばん嬉しいよ」
 と言われたりもする。
 褒めてばかりでもダメ、ってことなんだなぁ。(…しみじみ)




 
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