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私が東京に出てきたのは、24歳の終わり頃だった。
友人から借りた1トントラックに衣類やら布団やら、とにかく最低限必要なものだけを詰め込んで、6畳一間に小さなキッチンが付いた、風呂なしトイレは共同という、高円寺のポロアパートにたどり着いた。
そこには5ヶ月間だけ住んで、その後は高井戸の2DKのアパートで、当時の同僚と二人暮らし。半年後に彼女が結婚するというのでそこを出て、今度は武蔵小金井の駅から歩いて15分の7畳と3畳のキッチン、バス・トイレ付きのアパートに移った。
そこで4年くらいいたのだが、そこそこお金も入ってくるようになったので、次は久我山の2DKのアパートに。そしたら、近所にすんばらしくバブリィなマンションが建ったので、今度はそっちに引っ越し。
ここはリビングが19畳もあり天井も高く、また立地的にもとても気に入っていたのだけど、荷物が増えすぎて手狭になってしまった。そして、今住んでいる場所へ。
現在は4LDKの一戸建てに、出たり入ったりしている母親と、同じく出たり入ったりしている夫と、常駐の猫2匹とで暮らしている。
油とコゲでドロドロに汚れているけど、「まだ壊れていない」という理由で使っていたオーブントースターをやっと今年買い換えて、私が上京したときに持っていた物はすべてなくなった。もちろん、あの頃着ていた洋服や使っていた家具などはとっくにない。
東京で暮らし始めて20年である。振り返れば長いような短いような…。
しかしっ! なんでこんなに荷物が増えるよ。今の4LDK(130平米以上ある)はすでに荷物でパンパンである。
また、今度の家は買ってしまったものなので、易々と引っ越しするわけにはいかない。不要品はさっさと捨てる、人にあげるという方法を取っているにも関わらず、物はひたすら増え続けるのである。1トントラック分の荷物、だけで暮らせていたはずなのに…。
当然、いちばん悪いのは物を買い続ける私なのである。欲しいと思った瞬間に財布を開いてしまう。
欲しいと思う物がうんとお高い物であれば、しばらく考え込んだ後あきらめもするんだろうが、あっさり買えちゃうくらいの金額だったりするから、よけいにいけない。ブランド好き、高級志向ではない自分を呪うのである。
そして、そんな安物は当たり前のごとくすぐに「要らない物」と化す。
100円ショップで買ったような、すっごく安い物は捨てるときにさして躊躇いなく捨てられるし、ちょっといい物であれば人にもあげやすい。
だけど、最も処理に困るものは、中途半端に安い物なのである。人にあげるのは失礼だし、かと言って、このまま仕舞っておいても使わないのが目に見えている。
たとえば衣替えの季節に。たとえば部屋の模様替えのときに。そんなものを見つけるたび、しばらく悩んだ挙げ句、結局はまた同じ場所に仕舞い込むのである。
そしてそんなとき、
「火事になって、家が全焼しないかなぁ…」
ついそんなことを思ってしまう。いっそ何もかもなくなったら、また一から新しいものを買い揃えられるのに…、と。全焼なんてしちゃったら大事なものまでなくなっちゃうから、本当はマズいんだけどさ。
これが親の家ならば、要らない物ぜーんぶ実家に残して「お嫁入りする」というテもあるだろうが、残念なことにここは私の家。おまけに、もし急に母親が死んだりしたら、彼女がリスのようにせっせと溜め込んだ物をも引き受けなければいけなくなってしまうのだ。
ああ、何も物がないところから、人生をもう一度始めてみたい…。溢れかえるほどの物を見ては、たまらなく願ってしまうときがある。
そしてあるとき。そう思った私が衝動的に取った行動は、もう一つ家を買うということだった。
トルコのイスタンブールに、130平米のアパートメント。まるですっごい金持ちのように思われるかもしれないが、当時の価格で約830万円。ベンツのデカいのを買うよりも安いのである。
ここが現在、私の第2のクローゼットとなっている。
安物の着ない服や使わないような小物類を船便でガンガン送りつけ、トルコでもやっぱり着ない使わないとわかった瞬間に、とっとと人にあげてしまうのである。
トルコ人は日本人に比べて物を持っていないので(と言うか、日本人が物を持ちすぎているんだけど)、安物だなぁとわかるような物でも、わりと喜んでもらってくれる。便利な物なら尚更のこと。
送るのに結構な金額がかかってしまうけど、日本でも粗大ゴミの処理を頼めば何千・何万円もかかるのだから、これはもう仕方がない。また、あげた物を使ってくれるのは、あげた方にとっても嬉しいことだ。
「まだ使えるんだけどなぁ…」
うしろめたい気持ちを引きずりながら、目をつぶってゴミ箱に捨てるよりは精神的にもいいしね。
なのにさぁ…。
段ボールにてんこ盛りに詰め込んで船便で送り、ああ荷物が減ったと喜んだ直後、また買ってしまうって何なんだ。
引っ越しするより、トルコに物を送るより、自分自身の行動を改めた方がいいのかもしれない。
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