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2005年11月21日(月)
89.詞の中の人

 クレジットを見なくても詞を見ただけで、
「おおっ、これは○○さんが書いた詞だなー」
 とわかるときがある。
 その作詞家の「言葉癖」と言うか、文体の特徴や言葉の選び方に加えて、詞の中の「登場人物」を見て、そう思えるのである。

 ある作詞家が描く女性のイメージは、長い髪に透けるような白い肌、そして真紅のくちびる。また、別の作詞家の作品に頻繁に登場する女性は、ボーイッシュでちょっと世を拗ねたはにかみ屋さん。
 決して、詞の中でそういうことを説明しているわけではないのに、なぜかイメージが手に取るように見えてくる。そして、ああ彼はきっとこういう女性が好みなんだろうなぁと思うのである。

 職業作詞家とは、どんな歌手でもどんな内容でも相手の要望に合わせて書けるというのが前提である。たとえば私にしても、いわゆるムード歌謡系の人たちの詞も書けば、子供向きの詞も書く。バリバリのロックシンガーの発注にも応えられるし、アイドルの詞もたくさん書いてきた。
 なのに、やっぱり個人の嗜好というか、癖みたいなものはちらほらと出てしまうのである。まぁ所詮人間が作っているものだから、仕方がないと言うしかないが。

 かつて私は、ずっとそういう嗜好性が少ない方だと思っていた。特別にわかりやすい異性・同性の好みがないからである。
 しかし、あるシンガーにふと言われて気付いたのだが、実は私が書く「詞の中の人」は実はものすごーく一貫しているのである。
「眠子さんはずーっと迷ったり悩んだりしている人が大きらいですよね」

 私の詞をよく読んでいくとわかるらしいのだが、ある程度は悩んだり迷ったり、あるいは人生につまずいたり悲観的になったりしていても、必ずと言っていいほど最後の部分で立ち直って前向きになる、というのである。つまり、絶対に何らかの結論を出しているということだ。迷いっぱなし悩みっぱなしで終わらないということか。
 彼いわく、限りなく100パーセントに近いくらい、私が書いた詞にそれが言えるという。僅か4分程度の歌詞でいつも同じことを繰り返しているのも、芸がないみたいでせつないなぁ。
「眠子さんは要するに、強くて頭のいい人しか好きじゃないんですよ」
 彼はきっぱりとそう言い放ったが、確かにそれは言えるのかも。

 私にとって歌とは、人の気持ちを救うためにあるものだ。悲しんでいる相手と同じ気持ちになるのはいいが、どこかに出口を用意しておかないと、聴いている相手も時には書いている本人でさえも、よけいに落ち込んでしまう。
 また、現在の自分とシンクロする部分を求めて、歌を聴く人は多いと思う。歌によって癒されたい励まされたいとも願うのではないだろうか。
 だから、少なくとも私は「生きることをやめようよ」というようなことは絶対に書かない。
「こうすればいいんじゃないの?」
「こういう方法もあるよ」
 そういうことを伝えたいから、今までこの仕事を続けてきたんだろうとも思う。

 私は職業作詞家であるという自負を抱いた瞬間から、「私らしい詞」だの「作詞家としてのカラー」だのを自分の中で排除するようになった。人が「及川眠子らしい」と感じるものが私らしさであって、自ら「これが私よ!」という主張はしない。
 でもよーく考えてみれば、伝えたいことを曲げないというのも、また私の主張だったりするんだよなぁ。

 強くて頭のいい人しか好きじゃない、というのもその一つ。
 だってさー。ヒーローにしてもヒロインにしても、強くて頭のいいヤツじゃないと話がつまらなくならないか? 強靱な精神の持ち主があらゆる困難や挫折を乗り越えていくからこそ、物語は成り立つのである。
 また、それを観ている人たちも、そんなヒーローやヒロインだからこそ憧れるし、見習おうと思うんじゃないだろうか。

 たとえ闇が続こうとも、必ずどこかに一筋の光が隠れている。希望という名の光である。人生もしかり。
 私はその光を見つけられる人が好きだし、見つけるための努力をする人を応援したいと思っている。
 それが私の「詞の中の人」となって表れる。




 
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