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若さというのは一過性のものである。だからこそ輝きを放つし、若いという理由のもとに許されることも多い。
一緒に歩くのなら、くたびれたジジイより若い男の方がいい。男だったらよけいに、ババアよりも若い女の子と付き合う方がいいに決まっている。
と思っていたのだが、そうでもない男がたまにはいることに気付いた。
「若い女って、大嫌い!」
べつに私に対しての気遣いじゃなくて、心底そう思っているようである。
そして、そういう男は必ずと言っていいほど「心におばさんを飼っている」タイプである。
一応男で、ホモセクシャルでも何でもないんだけど、思考や感性がおばさんな男。重箱のスミをつつくようなことが大好きで、わりとねちっこい。論理よりも感覚を選んでしまう、というタイプ。
そして、心にオヤジを飼っている及川は、このテの「おばはん男」と実に気が合うのだ。だって、好みがバッティングしないしさー。
私は案外若い女の子は嫌いじゃない。むしろ若い男の軟弱さとかだらしなさとかに嫌悪感を抱いてしまうことの方が多い。
うちのトルコ人なんかも、若い人が嫌いだと言いきる人間の一人なのだが、
「若い人はいつもワン・ウェイだから」
というのがその理由である。
何かをしてあげても、彼ら彼女らから戻ってくることは滅多にないと言う。でも、ある程度の年齢をかさねた人たちは、こちら側から何かを与えると、必ず返してくれると言うのだ。
確かに、若い人たちは与えてもらうのが当たり前、と思っているような人が多い。与えて与えて、と常に口を開けてピーピー鳴いている雛鳥のような感じである。
でも、それが若さの特権ではないだろうか。
いつの日か、今度は自分が与える側にまわらなければいけなくなる。そのときに今まで人から与えられていたものを同じように与えられるかどうか、それでその人の「大人度」が見極められたりするものだ。
私もそうだったけど、若い頃は与えられることを待ちながらも、相手をじっと観察しているところがあった。見習わなければと思うくらいの立派な大人であるか、そうじゃないかというのは、結構冷静に観察しているものである。
若い人の中には二つのタイプがいて、年上の人間と付き合いたがる人と、自分と同じくらいか年下の人間の方を特に大事にするタイプ。野心が強いのは、明らかに前者のタイプだが、何も与えてくれない人間をばっさりと切っていく、野心満々の若い人たちはそういう残酷さもある。私も若い頃はそういうタイプであった。
しかし、若さというのはバカさでもある。
自分が若かった頃を振り返って思うのは、ああ私ってバカだったなーということだけである。体力や体型は若い頃に戻れればと思うことはあっても、あんな恥ずかしい自分を二度と繰り返したくはない。
人にいつも何かを期待しながら、自分はその人たちと同等の立場だと勘違いしていた。生意気なことを言って、彼らを打ち負かしたしたつもりになっていた。
周囲の人たちはきっと、若いから仕方ないよと許してくれていたんだなぁと、今になってみればよくわかる。
あの頃の私がもし目の前に現れたとして、自分がそれを優しく許せるかというと、絶対にできないだろうなと思うだけである。
また、若さは原価消却するものである。
若い頃きれいだった人たち。特にちやほやされてきた人たちは、いくつになってもそれが続くものだと、やっぱり勘違いしてしまうところがある。
容姿や若さで勝負できるのは束の間。30歳も過ぎれば、自分の武器だったものは使い果たして、結局人としての本来の価値が問われるのである。
だから、若くなくなった頃を充実して過ごすためには、若い頃にいかに消却しないものを貯めておけるかにかかってくる。人生は若い頃を過ぎてからの方が長いのだから、なかなか大変だ。
それよりも。もう傍目にも若くなくなったのは明らかなのに、まだ自分は若いとかイケてるとか信じ込んでいる人の方がキツいなぁ。
みんなでワイワイガヤガヤ楽しんでいるときに、たまに若いお嬢ちゃんなんかに話題が集中したりすると、
「そうよねっ! 彼女はこの中でいちばん若いからね。みんながチヤホヤするのは当然よね!」
誰もそんなこと言ってまへんがな、というようなことをヒステリックに叫んだりするのである。そして、その本人に向かって、
「あなたもね、いつまでも若いと思っていたら大間違いよ。そのうち年をとって、誰にも相手にされなくなるんだからね!」
自分に対して言ってるのかい、と思うことが多々。
おじさんおばさんになるのは誰だってイヤだけど、なっちゃうもんは仕方がない。また、たとえおじさんおばさんになろうとも、キラキラ輝いている人たちがいるってのも事実だ。
私は結構童顔で、喋らなければ年齢よりずっと若く見えるらしい。喋ると、いきなり実年齢よりも10歳くらい多めに見られてしまうのだが。
また、そろそろ中年太り。しっかりおばさん体型になってきたとは言え、日本人の体は基本的に骨が細くて肉薄なので、ビール樽のような体型になってしまうことはない。
そこにきて、2歳児程度のトルコ語しか喋れない私は、トルコに行くとものすごく若く見られる。ほとんど子ども扱いと言ってもいいくらいだ。
だから、トルコに行っているあいだは、自分がおばさんであるということをすっかり忘れてしまうことがある。実際の年齢を言っても、信じてもらえなかったりするし。
そんなこんなで甘やかされているうちに、自分もまだ若いとかイケてるとか思い込んじゃうのだろうか。若い子相手に勝負を挑むようなことをしてしまわなければいいが。
だって、負けるに決まってるからさ。
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