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2005年9月24日(土)
75.作詞家たるもの

 職業は作詞家、と言うとたいていの人は興味を持つみたいで、
「やはり気になったことは、すべてメモして…?」
 と質問されることが多い。
 うん、そういう人もいるだろう。でも、私は何もメモしない。それどころか、商売道具であるウォークマンもメモ帳も持ち歩かない。最近ではペンも持たなくなった。財布とタバコと家の鍵だけ持って出掛ける。携帯電話は家に忘れることが多い。
 まったく。仕事する気があるんだかないんだか。

 さすがにここまでいい加減なヤツは、同業者の間でもあまりいないらしく、
「そんなんじゃ、いつかダメになるよ」
 と脅されることもしばしば。
 でも、これで20年やってこられたのだ。自分がヤバいなぁと思えば改善もするが、今さら急に真面目になっても、自分の向上心に自分が付いていけないような気がする。

 まず仕事をお願い、と言われたら打ち合わせの場所に行く。デモテープを渡され、
「今回はお任せってことで。何かアイデアありますか?」
 ああ、そうっすか。じゃあちょっとデモを聴かせてもらいましょう、ということになる。もちろん相手のウォークマンやラジカセで聴く。
 1回聴いたところで、浮かんだ詞のイメージやコンセプトを伝える。それで了承してもらえたら、仕事の打ち合わせは終了。あとは無駄話。
 いや、それではちょっと…ということになれば、相手の意見なども聞いてコンセプトを修正する。納得してもらえたら、そこで終了。やっぱりあとは無駄話。

 ちなみに、やしきたかじんの打ち合わせなんて、ディレクターと純粋に楽曲の打ち合わせをしているのは1曲に付き3分くらいだった。
 さっさと打ち合わせを終えてしまい、あとはずーっとくだらない話ばかりをしている。それでシングル、アルバム何曲も詞を書いてきた。まぁ長い間やってきた、気心しれた間柄という理由もあるのだが。

 で、そのまま家にデモテープをお持ち帰りして、あとは孤独な作業。
 平均的なペースとしては、まず曲を2 3回くらい続けて聴いて、それでタイトルを決める。書きたいフレーズとか浮かんだ言葉とかも、同時に書きなぐる。そのあとは、曲を細切れに聴きながら、あたまから詞を作っていく。
 そんでもって、最後にまとめてお終い。

 実は、私は今でもカセットテープで仕事をしている。デモをMDやCDでくれる人がほとんどだが、わざわざそれをカセットテープにダビングし直すのだ。
 なぜかと言うと、カセットテープじゃなきゃ「細切れ」に音を聴けないから。CDやMDはイントロに戻ってしまうので、ここの4小節だけを集中して何度も聴きたいというときにめちゃくちゃ不便なのだ。

 また、私はメロディーを自分の中に入れない。いったん曲を覚えてから書き始めるという人もいるが、私は曲をまったく覚えない。
 詞がほぼ出来上がった頃に、最初から最後までとおして何度か聴きながらチェックするということはするけど、自分の中でOKを出した瞬間に、その曲はきれいさっぱり頭の中から消し去る。そして、直しがあるまで二度と聴かない。直しがなければ、そのまま忘れてしまう。だから、街角で自分が書いた楽曲が流れていても、結構気付かないことが多い。
 これは私が1日に何曲も書いていた頃に培った「量産するための知恵」である。
 詞を全部書き直してくれというようなこともたまにあったりするので、そのためには前に書いた詞やメロディーを自分の中に残しておかない方がやりやすいのだ。

 で、詞が完成するまでに要する時間は、だいたい2 3時間。最近は集中力が持続しなくなったので、もう少し時間がかかっているかもしれない。
 基本的には仕事場で書いてはいるが、タバコが吸えてコーヒーが飲めさえすれば、喫茶店だろうとスタジオだろうと人の家だろうと、どこででも書ける。
 スランプに陥ったことは、今までにない。プレッシャーに負けてボロボロになったことさえない。スランプに陥るほど、またプレッシャーに耐えられないほど、私は繊細じゃないからさ。
「あー! 大変だったよ、この仕事は!」
 と言うときは、たとえば非常に聴きづらいデモテープだったとか、昨日の酒がまだ残っていて体調が悪いとか、歌詞の中に部分的に日本語以外の言語を使ってほしいと注文があったとか、そういう場合くらいかな。

 日本語以外の言葉で、ニーズがいちばん多いのはやはり英語。英語は何とかなる。
 でも、フランス語、スペイン語、インドネシア語、アラビア語なんていう発注があったときは、まずその言葉を理解できる人を探すところから仕事を始めなきゃいけない。外国語じゃないけど、琉球語や古語の注文もあった。
 関西弁で書いてほしい、という注文は結構ある。でも私は、標準語と関西弁とのバイリンガルなので、これは楽ちん。
 ああそう言えば、トルコ語も部分的になら人の助けを借りずに書ける。でも、トルコ語を使ってくれとの発注は未だにない。

 作詞家は芸術家や文学者、アーティストの仲間だと思ってくれる人もいるけど、私自身はまったくそんな意識はない。
 瞬間芸を繰り返してきた。そして、その決められた瞬間にすべてを集中して吐き出せる技を持った、いわば職人だと思っている。
 ミュージシャンたちがスタジオに来て、初見で譜面どおりに弾けるのと同じこと。また、アドリブをやってくれと言われたら、その場でさっとやれちゃう技術力と引き出しの多さが、ミュージシャンにも作詞家にも必要だと感じている。

 感性やひらめきは大切である。だけど、それを支えているのはテクニックなのだ。技術を磨いてこずに、感性やひらめきだけに頼ってやってきた人たちは、作詞家・作曲家であれミュージシャンであれ、みんな早いうちにダメになっている。
 瞬間芸も続けられてこそ、プロである。

 相変わらずメモも取らない、情報集めもしない及川である。お気楽な稼業だと言ってくれちゃう人もいる。
 だけどさ。詞のネタなんてどこにでも転がっているし、自分の心をまさぐれば、書きたいことの一つや二つすぐに出てくる。それに、大切なことって意識しなくても心に残っているしさ。ネタを無理やり探さなきゃ書けない方が変ってもんだ。
 いつだって書きたいことがある。いつだって書きたいことをかたちにしていける。だから、メモも必要ない。




 
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