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テレビを観ていて、特に生放送の場合。出演者が不用意に「不適切」な発言をするたび、妙にイヤな気持ちになってしまう。
それは差別的な発言を聞いたからイヤな気持ちになるのではなく、そのあと必ず司会者やアナウンサーが謝るからである。
「先程、不適切な発言があったことを、深くお詫び申し上げます」
って。いかにもうわべだけの訂正と謝罪で、とにかくこの場を切り抜けようとする雰囲気が見え見え。それが気持ちをざらつかせるのである。
世の中には「言葉にとても敏感な人たち」がたくさんいるようで、ほんのささいな差別発言にも、ああだこうだとテレビ局やCM会社やらに文句を付けるみたいだ。
いつも思うのだけど、いったいどんな人たちがそういうことをするんだろう。人権派なのか? テレビ局に謝らせて、CMを打ち切りにさせて、それで彼らは自分たちが「勝った」と思うんだろうか。
犯罪に絡んだ人間の家族のところや、ちょっとでも注目を浴びた人のところに、中傷の手紙を送りつけたり電話をかけてみたり。それは加害者であっても被害者であってもお構いなし。自分たちの「気にくわない」人間に対して、匿名の悪意をばらまくヤツら。
両者にすごーく似たものを感じるのは、私だけなのかな。
逆に、そういう人たちに脅えて、言葉に自ら規制をかけてしまう方も情けない。
「これは…うーん。ちょっとヤバいかもですねぇ…」
使ったらマズいかな、使っても大丈夫かな、という危うい線上にある言葉は、たいてい書き直しを命じられる。私が責任を持ちますよ、と言ってもなかなか受け入れてもらえない。
音楽にも本にもテレビにも、そんな「使えない言葉」がいっぱいある。
以前、私が自著で「アーティストという名の文盲」という表現を使ったら、即座に却下された。「文盲」は差別用語らしい。
ただ、他の本を読んでいるときにその言葉を見つけることがある。出版社によってコードはずいぶん違うみたいだ。音楽の場合はレコ倫があるから、差別用語と指摘された言葉はそこで必ず引っかかる。その点で出版の方が規制があいまいなのかな。
でも、差別用語ではない言葉でも使い方によっては引っかかる。
今だから言えるけど…。
かつて湾岸戦争が起こったとき。アイドルが政治や社会を語ってもいいじゃないかというコンセプトのもとに、CoCoに『Newsな未来』という詞を書いた。で、最初の1行目。
♪砂漠の国が燃えたあの夜に
このフレーズがしっかり引っかかった。レコ倫ではなく、レコード会社の編成部で。リアルタイムすぎるというのが、ボツの理由だった。結局は、
♪悲しい報道(しらせ)聞いたあの夜に
というフレーズに変更したのだが、胸の奥にモヤモヤが残る結果となった。時には、事実を事実のまま伝えることにも勇気を必要とする。
早坂好恵の『オカドチガイ』という歌も、最初のタイトルは『涙のえんがちょ』だった。放送禁止用語ではないのだけれど、やはり「えんがちょ」がきわどいということだ。
ただ、あの歌は歌詞では思いっきり、
♪えんがちょちょちょちょ切れる涙
と歌っている。せめてタイトルを、と言われたので変えただけ。それでも気分的にはいいわけがない。
作詞家の責任、プロデューサーの責任だけではすませてもらえないことが、世の中にはたくさんある。
天野小夜子『プエルトリコ』の中の、
♪古びた飾り窓の向こうでは、知恵遅れの子どもたちが笑う
これもダメ。
ただ、これは納得した。コンサートやライブじゃないと無理だろうなぁと自分でもそう思いながら書いたので、CDにするときはあっさりと書き直し。
「なぜ、わかってて書いたの?」
そう訊かれたが、私はこのフレーズで「行き場のない悲しみ」みたいなものを表現したかった、というのが理由である。
しかし、そんなことを何度もやっているうちに、妙な知恵だけは付いてくる。わざと使っちゃいけない言葉を違う方法で使う。本来の意地の悪さがふつふつと湧き出てきて、そこにおバカなチャレンジャー精神も加わる。
「強姦で」と書けばマズい。だから、文字面は「Go!感電」とする。でも歌ったときには、しっかり「強姦で」と聴こえる。
面白がって、そんな遊びをしたもんだ。
だけど、森達也の『放送禁止歌』(知恵の森文庫)を読めばわかるとおり、放送禁止曲や「危険な歌」の定義はメーカーの自主規制によるものが多い。
私が書いた『針とナイフ』という詞の中に、
♪無上の愛に被爆してゆく
というフレーズがある。案の定、この「被爆」という言葉がヤバいんじゃないかと、プロデューサーから問い合わせが来た。被爆という言葉自体は、放送コードには何ら問題がない。
そこで私は、「被爆したい」という言い方なら、たとえば広島や長崎の原爆被害者の気持ちを逆撫ですることにもなるけど、「被爆してゆく」はあくまで表現としての方法であって、被爆者を傷つける言い方にはならない。…という説明をした。
OKであった。
何もそこまで…と人から言われることもある。同業者の中には、そんな危うい言葉を使わなくても充分詞は書ける、という人もいる。
もちろん、そうだ。
だけど、言葉を狩られるはがゆさを一度でも知ってしまうと、あえてタブーに挑戦したくなるものだ。私は単にインパクトの強さだけを狙って、詞を書いているわけではない。
自主規制という名の檻の中に自らを閉じ込めて、周りの顔色を伺うような物書きにはなりたくない。だから、敢えて反逆してみる。ただ、それだけである。
って言うか…。
『マンピーのG★SPOT』が大丈夫なのに、なんで「被爆」や「えんがちょ」がダメなんだよー、という苛立ちがあったのも確かだけどね。
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