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2005年9月1日(木)
69.人は少しずつ変わる

『人は少しずつ変わる』というタイトルの歌がある。歌っていたのは中山ラビ。
 しかし、中山ラビという名前を挙げても、私のサイトに来るような人はたぶん知らないだろうと思う。
 もうずいぶん昔に活動していた、シンガー・ソング・ライターである。当時は「ユーミンがいちばん意識する女性シンガー」なんて紹介のされ方もしていたが、8枚(たぶん)のアルバムを出し、メジャー・ヒットを出すわけでもなく、20年近く前に活動を休止してしまった人だ。

 私はWinkやらエヴァンゲリオンやら、いわゆる商業音楽でヒットを出してきた作詞家であるが、もともとは関西系のフォークソングが好きで、それらを聴いているうちに詞を書くということを目指しはじめた。
 たとえば、加川良や大塚まさじ、西岡恭蔵、はちみつぱい(ムーンライダースの前身)、上田正樹など。好きなシンガーはたくさんいたが、その中で私が最も影響を受けたのが中山ラビであった。
 でも、彼女は私が音楽業界に入ったときにはすでに活動をやめていた。和歌山にいた頃は、コンサートやライブの情報はほとんど入ってこないため、結局は一度も生でステージを観ることもなかった。

 その中山ラビが、5年ほど前から活動を再開した。だけど、それも話に聞くだけで、再開後にリリースされたライブ盤は買ってみたものの、あえてライブハウスに足を運ぼうという気持ちにはならなかった。
 音楽を仕事にしてからは、日常的には音楽からは遠ざかろう遠ざかろうとしてしまうのだ。楽しむためにCDを聴くこともない。
 そんな私なのだが、あるときふと「中山ラビのライブを観に行ってみようかな」という気持ちになった。

 山口花能ちゃんというジャーナリストの友人がいる。彼女も歌を歌っており、一度それを聴かせてもらったとき、昔の中山ラビを彷彿させるものを感じたので、彼女にCDをダビングしてあげたことがあった。
 おそらく彼女も、中山ラビから「何か」をインスパイアされたんだろうと思う。ライブがあるから行きませんか、という誘いをうけた。
 花能ちゃんが誘ってくれなかったら、おそらく私は一生ライブを観に行くことはなかっただろう。

 狭いライブハウス。ほとんどかぶりつき状態で中山ラビの歌を聴きながら、彼女の「変わらなさ」に感動した。声も楽曲も、私が夢中になっていた頃のままだった。
 だけど感動しながら、同時に居心地の悪さも感じるのだ。座っていても、お尻がモゾモゾして何だか落ち着かない。ともすれば、息苦しくなってしまうような感じでもある。

 べつに好きでも嫌いでもない単に仕事をしただけのアイドルや、お付き合いで観に行かされるコンサートの方が、むしろ気分的には楽だ。
 武道館や新宿厚生年金会館の「関係者席」で、ろくに歌も聴かず、ぼおーっとしながら時間が経つのに任せるとき。自分がいる場所だけぽっかりと空洞になったようで、孤独感とともに不思議な安心感に浸れる。
 言ってみれば、それが現在の私と音楽との関わり合い方なのかもしれない。

 何年か前にも、加川良のライブに行ったことがあった。友人が加川さんと古い知り合いで、本人にも紹介してくれた。
 そのときにふと冗談で、
「私って、メジャーに魂を売っちゃったよね」
 と言ったのだが、案外当たっているのかもしれないな。
 ライブ自体は楽しくないわけじゃない。好きだった歌を生で聴けて、かつて憧れていた人と直接話ができるのは、本当に嬉しい。だけど、何だろう。やっぱり居心地が悪いのだ。
 せめて20年前にライブを観に来ていれば、もっとのめりこめたのかも。
 中山ラビはそのライブで、『人は少しずつ変わる』を歌った。それを聴きながら、ああきっと私も少しずつ変わってしまったのだなと感じた。

 ライブが終わったあと。少しだけど、本人と話せる時間があった。
「ラビさんはどうして音楽から身を引いたんですか?」
 その問いに彼女は、商業的なものに流されそうになっていく自分に危機感を感じたからだというような答えを返した。彼女は私が想像していたよりも、ずっと優しく柔らかい雰囲気の人だった。
 私はフォークソングが入口だったけど、その後商業音楽の世界にどっぷりと浸かり、そこに自分の居場所を見つけた。そして、相変わらず尖ったままの攻撃心を携えて、明日のことばかり考えている。

「好きなアーティストは誰ですか?」
 時々訊かれることがある。
 ザ・バンドやリトル・フィート、トム・ウエイツ。日本では先程挙げた人たちの名前を出すと、質問した人たちの大半は、私が聴いてきた音楽と私の作風とのギャップに驚く。

 聴く音楽と作るものとは、違っていても構わないと私は思っている。だけど好きだと挙げながら、普段はほとんど彼らのCDを聴くことはない。
 自分が何をしたいのか。どこに向かおうとしているのか。もっと言えば、自分は何者なのか。
 そんな当たり前のようなことにさえ迷ったときにだけ、私は彼らの音楽を聴く。そして、音楽が好きなのかを自分に問う。
 彼らの音楽を聴いたとき、もうイヤだと感じたら、私はこの世界から身を引こうと思っている。幸いにして、まだそう感じたことはない。
 人は少しずつ変わる。だけど、変わっていく自分も変わらない自分も、同じように自分であるのは確かだ。




 
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