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2005年8月13日(土)
62.村の娘でいたかった その2

 さて。村に滞在することができず、市街地に戻った後。
 その山奥の村を離れてどこにいたかというと、別の村に行っていたのである。もちろん荷物は市街地のホテルに置いたまま。もしうちに泊まれと言われても、
「あー、でも荷物がホテルにあるから」
 と言い訳ができるように。さらには、泊まっていけと言われないために朝早くに行くという方法を取った。

 訪れた村は別の兄嫁の里である。そのときちょうど兄嫁と子どもたちが村に里帰りをしていたので、彼らに会いに行くという理由もあった。
 ここも前回の村と同じく、電気だけは来ているが、水道とガスはないという状態であった。水は山の湧き水を汲んできて、枯れ木を燃やして煮炊きをしている。また、家畜を飼い、果実の栽培で現金を得ているという農家だというところまでは同じ。
 ただ一点違うのは、この家にはトイレがあった!

 案内されて行ってみると、そこは正真正銘部屋の中。物置状態になっている部屋の隅っこに仕切りがされていて、そこがトイレになっていた。
 しかし、仕切りをされているのは1.5メートルくらいの高さまで。その上は開いている。物置にはしょっちゅう人が出入りし、声は聞こえるし個室というにはほど遠く、何だか妙に落ち着かなかった。
 もともとの家にあとから無理矢理トイレを作ったからこうなったのだが、彼らに言わせれば、それでも家の中にトイレができてから暮らしがずいぶん変わったとのこと。便利になってよかった、と言っていた。

 うちのトルコ人の5人いる兄嫁のうち2人が村出身なのだが、いつも思うのは、村の女たちは実によく働く。そして、力が強い。
 りんごやクルミを素手で割るのは当たり前。何十キロもの絨毯を、まるでテーブルクロスをはたくかのように軽々とベランダではたくのである。片手に20リットル入りの水の容器、もう一方の手にはトマトやらジャガイモやらの荷物を持って、4階まで階段を上がっていく。
 一度、アパートの下でそういう状態の兄嫁と会い、思わず手伝いましょうかと言ったところ、パン2個入った袋を渡され、
「じゃあ、これを持っていってちょうだい」
 と言われた。及川の軟弱さは家族間では有名なので、誰も期待しないのである。一斗缶の油を提げた11歳の娘に手を引かれ、パン2個持ってぜーぜー言いながら階段を上がる私であった。

 兄嫁は朝起きてから家中を拭き掃除し、ほとんど一日中台所に立っている。暇があれば編み物をやったりして、その手を止めることをしない。ああいうのを見ていると、家事というのも重労働なんだなぁと思ってしまう。
 それでもイスタンブールでは、洗濯機があるから全然楽ちんだと話していた。水道が通っていない村では、当然ながら水汲み場まで洗濯物を抱えていって、手で洗うことをしなければいけないから。
 また、食べた食器を洗う水だって、トイレで使う水だって、いちいち汲みに行ってるわけである。家に水が来ていないということだけで、暮らしはとてつもなく大変なものになるのだ。
 さらに、村では女も畑仕事をする。家畜小屋を掃除したりエサをやったりもする。ぼぉーっとしている時間なんて1分もないという感じで、とにかくよく働くのだ。
 もちろん子どもだって遊んでいるわけではない。牛や羊を放牧させるのは、たいてい子どもの役目である。

 村の娘に生まれなくてよかった。もっと言うなら、日本人でよかった。
 確かに日本だって、昔はトルコの村の生活と同じだった。でも、高度成長期に生まれた私は、経済や文明の発展とともに育ってきたし、その恩恵を一身に受けてきた。世界一便利な国で生きている偶然を、ただ感謝するのみである。
 また、「日本人だから」という理由で、少なくともトルコでは許されていることが多い。

 たいていの主婦ならできる絨毯洗い。私は絨毯を持ち上げることすらできないけど、
「そんなの誰かにやらせればいいんだよ」
 って感じで、無罪放免。人並みに家事ができないことで、ダメだとかもっと頑張れと言われたことは一度もない。
「日本人なのに、よくやっている」
 と、むしろ褒められることの方が多いのだ。

 昼頃にぐずぐずと起きてきて、適当に何か食べたあとはずっとインターネットをするかテレビを観ている。夕方になって初めて思い出したように洗濯や掃除をし、近所のスーパーに買い物に行き、それから晩ごはんを作る。そのあとは、またインターネットをしたりテレビを観たり。面倒くさいときにはごはんを作ることもせず、親戚や友人の家に押しかけて、そこですませてしまったりもする。
 そんな怠惰な生活をおくっていても、
「日本で一生懸命働いているんだもの。いいじゃない、トルコにいるときくらいゆっくりさせてあげれば」
 そういうふうにいつも誰かが庇ってくれる。本当は日本でだって家事は母親任せで、仕事もせずにだらだらと過ごしているんだけどさ。
 ああ、日本人でよかった。

 ところで。兄嫁と一緒に里帰りを強いられた娘たち二人は、ともにイスタンブール生まれの都会っ子で、村の生活にはどうにも馴染めないらしい。私が会いに行ったときには、二人ともすっかりスリムになっていた。
「だって、卵はニワトリのお尻から出てくるんだよぉー」
 だから、何も食べられない。ここにいるのがつらくてたまらない。お願いだからイスタンブールに連れて帰ってくれと、泣きながらせがまれた。

 しかし、兄に連れて帰っていいかと電話をすると、もうしばらくそこにいさせろと言う。連れて帰れないことを告げると、
「バッカル(トルコのコンビニみたいなもの)もない、スーパーマーケットもない! 私はここで何をすればいいのよ!」
 ものすごーく悲痛な叫びであった。
「トイレもない、風呂もない! 私はここでどうすればいいのよ!」
 ホテルに泊まるーっ!と大騒ぎした自分自身を、つい思い出してしまった。
 小学生並みか、私は。




 
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