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2005年8月5日(金)
59.人の噂も75日

 日本人は他人の噂話が好きだが、トルコ人はもっと好きである。そして、何よりも他人に噂されることをものすごく怖がる。
 トルコ語で「噂」のことを「デディクド」と言う。
「そういうことをしていると、デディクドされる」
 日常的な会話の中にも、言葉の端々にデディクドという単語が出てくることが多い。ともすれば物事の基準や規制にもなっているのだ。
 私なんて彼らから見れば所詮外国人だし、だから物珍しさも含めてきっといろいろ言われるのも承知の上。べつにいいやーって思っているところがあるのだけど、どうもそうはいかないらしい。

 たとえば、親戚や友人の家に遊びに行くとき。そこが特に保守的な地域だったり、住人が敬虔なイスラム教地だったりする場合は特に。
「スカート(それも丈の長いやつ)を履いていって!」
「ノースリーブはダメ!」
 うちのトルコ人にしょっちゅうそういうことを言われる。いいじゃん、パンツで。それに暑いんだし、長袖なんてヤだよ。
「デディクドされてもいいんなら、じゃあそれでいいよ」
 アホ日本人と陰で言われようが、男を惑わす格好をしている(ノースリーブでパンツ姿というだけで、そう言われることもある)と罵られようが、私はまったく平気なのだが、結局「教育」が悪いという理由で彼が悪者になってしまうので、渋々着替えることに。

 兄の娘は夜ゴミを捨てに行くときでさえ、ちゃんと頭にスカーフをし、カーディガンを着込んでスカートを履いて出る。
「じゃないと、デディクドされるから」
 誰かがいつも見ているらしい。四六時中見張っていて、噂のネタを探しているってことだ。ああ面倒くさい。
 つまり、それだけ暇ってことでもある。

 また、保守的な地域ほどデディクド傾向は強い。保守的かそうじゃないかは、女性がスカーフを被っている率でわかる。
 私の家がある場所は、古くからの住宅地だけど女性のスカーフ率が低い。服装もモダンな人が多い。
 もちろん、いくらモダンな地域であろうがデディクドはなくなることはないのだけれど、少なくとも見た目だけで噂をされるということはないと思う。よっぽど派手で奇抜な格好をしていない限りは。

「日本にもデディクドはある?」
 そう訊かれたことがあった。
 もちろんあるさ。うちの近所にもそういうオバさんがいるし、それはトルコや日本に限ったことではない。人の噂をするのが大好きな人種は、地球上に掃いて捨てるほどいる。

 まぁそういう私も、人の噂をするのは正直言ってきらいではない。悪口大好きだし。
 だけど、楽しくない噂話はちょっとつらいなー。
 もちろん噂自体はいいことではないのはわかっているし、面白おかしく人をなじったからと言って、決して褒められたことにはならないんだけれど、人はどうしても人の言動が気になってしまうもの。
 第三者から聞いた他人の話に共感したり、羨んだりひがんだり。また、自分と比較して自信を持ったり落ち込んでみたり。人と関わるってことはそういうことではないかと、私は思っちゃうのだ。

 言い換えれば、人に噂をされるのも仕方ないってこと。自分が人のことをああだこうだ言ってるのに、人には言われたくないというのは虫が良すぎる。
「私は人の噂なんて絶対にしませんっ!」
 むしろそう言い切ってしまえる人の方に、私は妙な腹黒さを感じてしまうな。
 そんでもって、もし噂が聞こえてきたとしても、
「ま、いいっか。人の噂も75日だしな」
 なんて言って、適当に流しておけばいいのだ。そのうちした方もされた方も忘れるさ。

 トルコ人は自分たちが噂大好きなくせに、人に噂をされるのを極端に嫌がったり怖がったりする。
「あの人ってほんとに噂が大好きなのよね」
「いやぁねぇ。もう口もききたくないわ」
 と言って、噂好きなオバさんの噂をみんなでしている。

 私はそういうところについ腹を立ててしまって、家に帰ってから(話していることのニュアンスはわかっても、その場で反論できるほどトルコ語が喋れないため)うちのトルコ人に怒るのだが、そんなときに彼は一言。
「デディクドは聞きたくない!」
 とにかく人のことを言えば、内容に関わらず何でもかんでもデディクドらしい。それもまた変な感じだなぁ。
 トルコ人の不思議を見た思いである。




 
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