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未だに連絡を取り合っている中で、私のいちばん古い友人は、和歌山で雑誌の編集の仕事をしていたときの同僚である。
しかし、連絡を取り合うと言っても、滅多に会うことはない。今ではお互い顔も忘れかけていて、たぶん道ですれ違っても気付かないだろうと思う。
私の交友関係は、とにかく人の出入りが激しいの一言に尽きる。瞬く間に友人を作ったかと思うと、あっさり疎遠になってしまう。基本的に「来るもの拒まず去る者追わず」なので、付き合う人を選ばない。
いちばん親しい人は、そのとき会ったり電話をしたりしている人であって、何年間も付き合ってきたから心を許せる間柄になるとも限らない。要するに、人に対しての執着心もないのだ。
小学校からずーっと友達で、なんて話を聞くと、いいなぁすごいなぁと羨ましくなってしまう。反面、こいつに自分の過去すべてを知られているのかと思うと、それはちょっと恐ろしいことでもある。
私にとって、過去なんて忘れていくためにあるものであって、本人がコロリと忘れているのに、他人が逐一それを記憶しているのは、なんかイヤだ。
そういう「秘密を分け合う」間柄だから、本当の親友と呼べるのよと言われても、だったら親友なんていらないもーんって感じ。
実際昔のことなんてほとんど憶えていない。同級生だった人の顔も名前も、付き合った男の仕草や言葉も、今や全部まとめて土深く眠っている。たとえ探り当てても白骨化してしまって、誰が誰だか何が何だかさっぱりわからん、という状態である。
そう言えば。
「あの頃はよかったなぁ。もう一度戻りたいなぁ」
と呟いたことさえ一度もない。どんなにつらい時期であろうが、私にとっては現在がすべてだから。また、未来はきっと今より楽しいことがあると、脳天気に信じきっている。
だから、たとえば同窓会で(私は一度も出たことはないが)。かつての美少年がハゲで脂ぎったオッサンになっていようが、私はわりとすんなり受けとめられる。それが彼の現在なら、それでいいじゃんって思うだけ。
「なによっ! 昔はあんなにかっこよかったのにー!」
なんて相手を責めても、過去は決して戻らない。自分だってジジイ、ババアになっているんだ。お互い様ってやつ。
私が歩いた後には、思い出の残骸がいっぱい転がっている。…というくらいに自分の思い出を抱え込まない私であるが、もちろんみんながみんな同じというわけではない。ずっと過去に囚われている人たちだっている。また、過去の交友関係を利用しようとする人もいたりする。
ある日。チャイムが鳴ったので玄関に出てみれば、見知らぬ男女が二人立っていた。
「ごぶさたでーす!」
そう挨拶をされたのだが、誰なのかさっぱりわからない。
「憶えてませんか?」
はい、憶えてません。誰なのかと訊くと、高校の時の同級生だと言う。しかし、名前を言われても全然思い出さない。
訪ねて来られたのは自宅である。どうしてここの住所がわかったのかと訊くと、高校の同窓生名簿に載っていたからと答える。
名簿? 私はそんなもの持っていないし、その名簿に載せるために住所を訊かれた記憶もない。
しかし、見せてもらうと、しっかり私の名前と自宅の住所が書かれてある。あとで実家にいた母親に電話をしたが、彼女も心当たりがないと言う。私は現在、高校時代の同級生誰とも交流がないのだ。
「作詞家になったんだよねぇ。すごく活躍していて…」
私の名前『及川眠子』は筆名である。本名はどこにも公開していない。また、出身地は和歌山県だと言っているが、和歌山のどこで育ったとか、どこの学校を出たとかも一切公にはしていない。だから、私が作詞家になったことを知っている人も、ほとんどいないはずなのに。
ものすごい謎である。いったい誰が知らせたんだ。
彼らは妙に馴れ馴れしいというか、親しげに話しかけてくる。かつて仲良くしていたなら、せめて断片でも記憶のどこかにあるはずなのに、それさえ見つからない。
「私が作詞家をやっているってこと、誰から聞いたんですか?」
「ああ。Tさんからよ」
おーい。そのTさんさえ、私の記憶にはないのだ。
そのあとも他の同窓生の名前がいっぱい出てきたけど、一人として憶えてはいなかった。
結局彼らが何をしにわざわざ訪ねてきたかというと、選挙のためであった。徳を積むためにいらしたようである。
私がぼろぼろこぼした思い出を、拾って歩く人たちもいるってことか。
思い出に繋がる糸をふとたぐり寄せれば…。人は時間の流れの中で痛みや悲しみを洗い流し、きれいなものだけを残そうとする。だから、思い出はいつも優しくてせつない。また、それが思い出の価値であったりする。
やっと傷が癒える直前、かさぶたを無理矢理に引き剥がし爪で掻き回して、さらなる痛みを得ようとする。それを生きる力に換えている私にとって、記憶が思い出へと到達した瞬間にはすでに不必要なものになり、忘れ去るためにしか存在しないものと化す。
私は徹底して現在を生きている。思い出をまさぐるのは、未来に期待しなくなってからでいいと決めている。
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