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別れた男の背中に一言。
「幸せになってね…」
なーんて。誰が言うかそんなこと! 地獄に堕ちてしまえ。世界でいちばん不幸になりやがれ。そうなるように、おまえに呪いをかけてやる。
…という女である、私は。
「その人の幸せを願うことは、自分の幸せにもつながる」
と言う人もいる。確かに、誰だって人を恨んで生きていたくはないだろう。優しい気持ちで日々をおくる方がいいに決まっている。
だけど、別れた男だけは別である。ましてや、自分から逃げた男、自分をフッた男に対しては、幸せになってほしいとはどうしても思えない。私はそこまでお人好しじゃないし、自分の気持ちに蓋をしてまで相手を思いやれるほど立派な人間でもない。
それよりも、そんなことを言える人、それを実践している人って…。なんでそんなにいい子でいたいかな。誰に褒められたいのかなって思っちゃうよ。
相手を憎みもせずに別れていけるってのは、つまりそこまで愛が深くなかったのだと私は解釈する。もしくは、自分の側にすでに好きな人がいて後ろめたさがあるとか、一時期はすごく好きだったんだけど、暴力を振るわれたりアルコール依存症だったりで、別れられてせいせいしているとか。
「好きな人だからこそ行かせてあげるのよ」
言葉面だけ見りゃすげぇかっこいいが、二度と会わないかもしれない男に対していい女ぶってどうするよ。
人にいい女に見られるより、私なら自分に正直になる方を選ぶな。だって、その方が楽だもの。自分を甘やかしてさえやれない人間が、人に優しくするなんて無理だ。
きれいごとを言ってこらえた気持ちは、いつかきっと爆発する。
だったらそのときに爆発させた方がまし。相手を罵って恨んで呪って、さらには全然関係のない他人にまで八つ当たりをして…。スッキリとしたあとでやっと次に「忘れる」というステップを踏めるのだ。
別れた相手と友達でいられるってのも、そういった「心の峠」を超えることができてからの話さ。
人を罵ったり恨んだり呪ったりするのは、醜い行為だと思い込んでいる人もいるが、私の見解はその逆。
自分を大切にしてやるためには、時には人をまったくの悪者にすることだって必要なのだ。むしろ自分を夜叉にしてしまわないために、胸の中に渦巻いてるありったけの憎悪を吐き出すべきだと思う。
私たちは天使でもなければ修行僧でもない。ただのちっぽけな人間だ。自分の愚かさと向き合って初めて、そこを超えていけるのだ。そしてそのうち、
「あー、あたしってバカだったわー」
と笑える過去になる。
また、愛は二人で育てるもの、なんて勘違いしている人もいるよな。
愛情なんて一人でも充分育てられる。むしろ自分の胸の中だけで抱えている愛情ほど、妄想という養分を吸って、不必要に大きく膨らんだり変形してしまうものである。
それに気付かず、終わった愛情を昇華させてやることもしないまま、一人悶々と悩んでいれば頭がおかしくなっても不思議じゃない。ストーカーの正体を調べてみたら何年も前に別れた男だった、なんて話はその最たる例。
だから、賢い男ほど別れ際は派手な修羅場をわざと仕掛ける。女に皿を投げつけられ罵倒され、
「あんたなんて殺してやる!」
と言われるくらい。それでも逃げずに土下座までして謝れる男こそ、実はすごくいい男だったりするのさ。
別れたから気持ちもそれで終わり、とは限らない。今日は昨日の続きであるのと同じように。でも、いったん感情を噴火させてしまえば、なんとなく終わったような一区切りついたような気分になれる。
だけど悲しいかな、まともに火山灰を浴びてくれるほどの男なんて滅多にいない。たいていは途中で逃げてしまうから。
だから、呪うのだ。あえて言葉に出して言ってみるのだ。
「おまえなんか死ねばいい」
「おまえなんか不幸になってしまえ」
と。
人間ってさ、よくできたもんで。幸せな気持ちも悲しみも持続しない。幸せな日々が続けば、いつかそれに飽きて寂しさを探し出すし、逆に報われない日々の中では、ささやかな喜びや嬉しさがとてつもなく大事なものに感じられる。
言葉に出すことで、第三者に伝えることで、男に対して罵倒したのと同じような快感が得られる。
同じことを言い続けていれば、そのうち自分の気持ちにも飽きてくる。そして、いつか毒素も抜けていく。
少なくとも私自身、常にそういう方法で過去を振り切ってきた。
「幸せになってね…」
その言葉を本心で吐ける人には必要ないことなのかもしれないけど
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