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果たして。「天然ボケ」というのは褒め言葉なのだろうか、と悩む及川である。
私は「天然」と呼ばれる類の人間ではない。生まれてこのかた一度としてそう呼ばれたことはない。しかし、周囲には何人かいて、
「○○さんは天然ボケなんだからー」
そう言われたときに、必ずと言っていいほどみんな嬉しそうにするのである。
仮にも「ボケ」である。そんな言葉を言われたら、私だったらカチーンときて思わず殴ってしまいそうだが、ボケの前に天然が付くことで褒め言葉に変化するのだろうか。
「私は天然ボケなの」
自ら誇らしげにそう言う人もいるくらいだ。
しかし私が思うに、天然ボケとは人の話をきちんと聞いていない、よって内容に添った返答も出来ない。さらには、常識がない、世間を知らない、人に合わせられない、ということの代名詞ではないだろうか。それをストレートに言ってしまうと傷つけるだけなので、あえて持って回った言い方にしているだけに過ぎないのでは。
少なくとも天然系と呼ばれる人たちと、知性派とか頭脳明晰でキレ者とか呼ばれるタイプとは対局の位置にあると言える。
「彼女はインテリなんだけど、天然ボケなのよね」
なんて聞いたことないしな。
天然ボケの女性ってほんわりとしたイメージで、なんか癒されるなんていうこともよく聞く。頭が良くてテキパキした女性といるよりは、ちょっとゆるいくらいのタイプの方が安らぎを感じる男の方が多いのだろう。
さらに、天然系の女のほとんどが言うことは、
「私って変だって、みんなに言われるのー」
40歳もとっくに過ぎて、そんなこと言っている自分が情けなくならないかって思っちゃうんだけど、本人にとっては「変」という言葉もきっと褒められているうちに入るのだろう。
それよりも、何が変と思われるのか、なぜゆえに天然ボケと呼ばれるのか、その真意を突き詰めて考えてみた方がいいと思っちゃうんだけど。面白い人、というだけでは変とか天然とか言われないもの。
もう一度書くが、及川は天然系ではない。
面白い話を思いついたら、それをきちんとストーリィー仕立てにして、理論や皮肉も取り混ぜながら笑わせようとするタイプである。
だけど悲しいかな。私のようなタイプは、そのパワーの強さにおいては天然系に勝てないことが多い。
たとえば飲み会で。
私が何とかこの場を盛り上げようと周りに気も遣いつつ、一生懸命頭をひねって考えたネタを披露しているとき。話が佳境に入り、ここからオチに向かって突き進みまっせというその瞬間。
「すみませーん! ビール2本お願いしまーす!」
いきなり大声でビールのお代わりを頼みやがる女がいたりする。
また、たとえば打ち合わせで。
仕事の話も一段落して、和気あいあいと最近の面白ネタを話しているとき。みんなでわーっと盛り上がったその瞬間。
「ねー、SMAPでは誰がいちばん好き?」
何も今その話をしなくてもいいだろうというタイミングで、いきなり話を切り替えるやがる女もいる。
その途端、今まで話していたことから全員の注意が削がれ、さらには話も続かなくなり、
「またまたぁ、○○さんはほんとに天然ボケなんだから」
結局、そのタイミングの悪い女にみんなの笑いが引き寄せられていく。私が今まで組み立てた話をすべて破壊してしまう。
「あっごめんねぇ。私ってなんか間が悪いよね」
本人は一向に悪びれる様子もなく、ニコニコ微笑んでいる。
そういうことが多々あると、まるで誰かに向いた関心を自分に引き寄せたいがためにわざとそうしているんじゃないかと、歪んだ悪意さえ感じてしまう。
また、敢えてわかったうえでタイミングを外している、一種のパフォーマンスではないかと思うことも。
頭があまりよろしくない人間に、ユーモアに富み、かつ構成のしっかりした話をしろという方が無理である。それでも目立ちたい、みんなにウケたいという人間が注目されるには、そういう方法しかないのである。
と言うより、かつて一度本当に無意識にそれをやってしまい、ウケてしまった場合は、次からもそのテでいけばいいんだという、やはり無意識の発想が生まれるのではないか。
また、天然ボケと言われることで、イコール可愛いといったイメージも加味される。それこそ一石二鳥、大儲けである。
もしかしたら考え過ぎなのかもしれないけど、あくまで天然になれない私にとっては、ほんの一瞬のどうでもいいことで笑いを奪っていってしまう人間が憎くて憎くてたまらない。首を絞めてやろうかと思うことさえある。
ちゃんと頭使えよー。それよりもっと人に気を遣えよーと思いながら、こいつとは二度と一緒に飲まないと誓うのである。
よって結論。及川は天然ボケの人間が大嫌いである。
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