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2005年5月21日(土)
たかが歌にできること

「歌(音楽)で世界を変えることができますか?」
 もしそんな質問をされたとしたら…。
 私ははっきりNOと答える。
 歌が在ることだけでは戦争は終わらないし、景気も良くならない。世界はたかが歌なんかで変わりはしないと思っている。

 平和活動が好きなアーティストたちは、よく「音楽で平和を」みたいなことをやっているけど、募金活動をしたいのか、それとも歌による一種のプロパガンダを目指しているのか、私にはよくわからない。
 そこそこ売れていそうなバンドが何組か集まって、「戦争はいけない!」って訴えているけど、なんでいけないのか明確に答えられる人が、果たしてあの中にはいるのかな。
「やっぱ平和がいちばんだから」じゃあ、あまりに程度が低くないか。
 それよりも、現在どこの国が戦争していたり内戦状態だったりするか、ちゃんと答えられる人はいるのかさえ疑問だ。

 今現役で活動しているミュージシャンや歌手たちの中で、実際に戦争を体験した人たちはとても少ないだろうと思う。
 終戦が終わって久しい、徴兵制度もない、下手すると人の死体すら見たことがない日本人たちが、「平和がいちばん」って…。戦争の悲しみとかつらさとかを、もしくは平和であることの価値を、何をもって伝えていこうとしているのか。

 このあいだ、自ら平和主義を名乗るミュージシャンとチェチェンの話になり、シャミール・バサエフの名前を出したら、
「バサエフって誰?」
 と訊かれてしまった。すごいことに、チェチェン人はアラブ人だとずっと思っていたらしい。イスラム教徒は全部アラブ人だという図式が、彼の頭の中にあるようだ。そう言えば、トルコ人もアラブ人だと思い込んでいた。
「トルコ人はトルコ人だよ」
「でも、アラブ人もいるでしょ?」
「クルド人は多いけれど、トルコでアラブ人が占める割合は少ないよ」
「じゃあ、トルコ人って何人?」
 …すごい会話である。
 戦争について知らなくても、平和活動はできるらしい。って言うか、平和であることが大切なのであって、戦争のことは知りたくない(知る必要がない)というのが、彼の意見なのであろう。

 もうずいぶん前だけど、地雷撲滅のための音楽キャンペーンみたいなのがあって、売れっ子アーティストたちがいっぱい参加していた。地雷除去のために募金を募るという、それ自体はすごくいいことだとは思うのだけど、それに参加していたミュージシャンの一人が「Army」と書かれたTシャッを着ていたのは、ちょっと笑っちゃったな。
「日本の自衛隊は戦闘に行くのではない。復興(もしくは、平和維持活動)のために行くのだ!」
 と言いながら、ばんばん自衛隊を各地に飛ばしている政府に対し、
「軍服を着た自衛官を見て、現地の人間には戦闘か復興かの区別がつくのか」
 なーんて抗議の声が上がっていたりもしたけど、その後なんとなくうやむやになっちゃたよな。
 「Army」と書かれたTシャツを着て、地雷撲滅キャンペーンをする青年がよしとされるのであれば、軍服を着てPKOに行くことのどこが悪いんだ、ってことなんだろう。

 歌の話からはすっかりそれてしまったが…。

 世界を変えることなんてできない、たかが歌。だけど、されど歌であるとも私は思う。
 及川はなんで作詞家を続けているんだ、歌に何の価値があるんだと訊かれれば、歌は人の心を変えることもあると信じているから、と答える。

 私にとって、歌はあくまで嗜好品の一つであり、ごく個人的なものであるという思いがある。
 世界がとか平和がとか言う前に、私は誰かの心に届いてもらいたくて詞を書いているだけである。誰かの人生と重なり合う偶然を祈って、また、ほんの少しでいい、誰かの悲しみを救えるかもしれないという期待を込めて、今までずっと歌を作ってきた。

「歌詞が全然胸に響いてこない。最近はつまんない歌ばっかりだよねー」
 おじさんおばさんたちがそう嘆いているのをよく耳にするけど、私たちがまだ若かった頃に聴いていた歌は、あの頃のおじさんおばさんには到底理解しがたいものであった。
 時代によって歌は変わる。胸に響く歌も世代によってきっと違うだろう。他人が聴いている歌を批判するより、自分が好きな歌を探せばいいだけだ。
 そして私も、「及川じゃなきゃ書けない」詞を目指していく。
 世界を変えるなんて、大それたことは思っちゃいない。誰か一人の心に届くことだけを願って。




 
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