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2005年5月15日(日)
37.非妊

 たとえば。22歳くらいで結婚して、翌年あたりにぽろっと出産。その2年後くらいにもう一人出産。
 そんな人生をおくっていたらどうだったかな、と最近フト考えるときがある。

 とりあえず結婚だけは一回して、またするかもしれないけれど、子どもを産むに至らなかった。子どもがいないことに対して後悔したことはなくても、目の前に閉経という現実がぶらさがるような年齢になった今、不思議に子どもがいる生活に憧れてしまうようなところがある。
 かと言って、今からでも産みたいかと問われると、それも難しいなぁと思ってしまう。体力も落ち、いろんなところにガタも来だして、自分が生きてゆくだけでもいっぱいいっぱいなのに、これ以上の負担は…と、思いが別の方向に行ってしまう。
 まぁでも、出産なんてそんな頭で考えてどうこう言うもんじゃないというのもわかっている。考えちゃうのは、やっぱり年齢のせいもあるんだけどね。

 未婚という言葉に加えて、非婚という言葉がある。自らの意志で結婚を選ばなかった、という意味であろう。やはり自らの意志によって出産をしなかった私の場合は、「非妊」と言えばいいのだろうか。

 私が昔飼っていた猫はメスで、一度も子どもを産むことなく11歳で死んだ。その猫がまだ生きている頃、子宮蓄膿症という病気に罹り、子宮を摘出する手術をした。
 医者が言うには、出産をせず、かと言って避妊手術もしない場合、子宮の中に膿や毛の塊が溜まってしまい、それがもとで病気になってしまうとのことであった。
 世の中の平均よりも早すぎる更年期障害や、体のあちこちにガタが来ているこの感じ。もしかしたら、子どもを産むためのすべての機能は揃っているのに、それをきちんと使ってこなかったことへのしっぺ返しかも、と思っちゃったりもする。

 人に言わせれば、それでも私は「ものを生み出す」仕事をしてきたから、子どもを産むのと同じくらいの功績だ、とのことらしい。私も以前まではそのように思っていた。
 だけど、たとえものを生み出す仕事をしていても、子どもを持つこととはまったく違うと思うようになった。ましてや、私は作詞家。人のためにものを書いてきた人間である。
 確かに、ものを生み出すことはしても、その成長を間近で見届けることはない。自分が産んだ瞬間に人に手渡す、喩えは悪いが代理母みたいなものだ。
 と言うよりも、ものを生み出す仕事だから、子どもを持たなくてもOKという考え方は変だ。そんなことで慰められても嬉しくなんてない。

 私の周りでも、子どもがいない女性は多い。なぜ子どもを産まなかったのと訊かれたとき、私は「チャンスがなかった」というような言い方をして適当にお茶を濁してはいる。
 だけど、あるミュージシャンの奥さんが、
「うちの夫は不安定な仕事でしょ? だから、子どもを持っても、彼の負担になるかもしれないし」
 と言ったことがあった。
 その旦那さんも彼女と同じように思っているのかどうか知らないが、もし彼女の思いだけでそう言っているのなら、それは旦那さんにとってすごく失礼なことだと思う。
「私自身の女としての機能に問題はない」
 と言いたいだけみたいじゃないか。
 自分の機能に問題はないけど、旦那の仕事が不安定だから子どもを産まないってのは、責任のすべてを夫の側に押しつけているようで何だかイヤだな。少なくても、子どもを持つ持たないは夫婦双方の問題だと思う。

 また、別のパターンとして。
「私の母がね、子どもを持つ人生は最高よ、だからあなたも絶対産みなさいよ、って言うの」
 そう言いながら、自分の年齢とにらめっこしては焦っている女性もいた。
 母親が最高の人生をおくれたからと言って、その人もそうだとは限らないんじゃないだろうか。
 子どもを持つイコール輝ける人生、という図式は誰の手にも用意されているわけではない。そこには努力も必要なのだ。子どもを持つだけで幸せになれると言うなら、どうしてこんなにも子殺しのニュースが絶えないんだろう。

 もう一度書くが、私は子どもを持たなかったことで後悔をしたことがない。幸せと不幸せが混ざる人生を、充分に堪能させてもらってきた。
 ただ、人生の折り返し地点も過ぎたであろう今。命のあり方というものをフト考えてしまうとき。
 自分の命を継ぐ者が欲しいな、と気まぐれに思ってしまうだけなのだ。




 
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