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2005年5月10日(火)
36.男の見栄と優しさと

 基本的に、馴染みの店を持ちたいのが男で、いろんな店に行ってみたいのが女である。

 ウィンドー・ショッピングなんてのも、女だからこそできること。
「今日は渋谷まで何しに?」
「いやぁ、ちょっとウィンドー・ショッピングに」
 なんて答える男はほとんどいない。
 買い物に行っていろいろ見てみたけど、結局欲しいものが見つからなくて手ぶらで帰ってきた、ということはあっても、何の目的もなしにデパートやショッピング・モールをうろうろしない。男とは本来そういうものだと思う。嫁や恋人に付き合わされて、ウィンドー・ショッピングをすることはあってもね。

 この店がいいなと決めたら、男は案外浮気をしない。洋服の場合は特にその傾向が強いようで、春夏秋冬とりあえずその店に行って、上から下まで店員さんに揃えてもらうという人が多いようだ。
 最近の若い子やもともとオシャレ好きな男はそんなことはしないかもしれないが、本来がオシャレな男なんて、割合にしてみれば少ないのである。
 それよりも、いつも行っている店に行き、
「あら、○○様。いつもありがとうございます」
 と言われる快感の方が大きいようだ。名前を覚えられるってのは、仕事も含め、男にとっては結構大事なことだしさ。

 女でもそういう傾向の人がたまにいるが、でも、あっちの店もこっちの店もいろいろ見たい。そんでもって比較検討したい。ずっと気に入っていた店でも、店員が変わったからもう行かない。てな感じで、ここじゃなきゃダメというのがない。
 世の中の流行のほとんどは女が支えている。目移りが激しい、店に対して特別な義理も抱かない女だからこそ、流行を追いかけられるのだと思う。

 また、男の「馴染みの店を持ちたい」気持ちは、飲食店に対しても同じである。
「馴染みの店に行くと、何だかほっとするんだよな」
 なんて言う男もいるが、結局のところやっぱり、
「○○様。いつもお世話になっています」
 と言われたいんだと思う。
 特に高級レストランで女連れだったりすると、店の人にそう言われたときに、ちょっと胸を張れる感じがするもんな。

「ねぇ、あなたのこと覚えてたよ。いつも来てるんだー?」
「いや、僕も忙しいから、それほど頻繁にってわけじゃないんだけど」
「すごーい! こんな素敵なお店にいつも来てるなんて、カッコいい!」
 店の人間はプロである。ましてや、高級レストランとなると、一度でも来たことのある客のリストはきちんと保存しておき、名前もしっかり記憶しているものである。
 そんでもって、名前を覚えられているから、いつも素敵な店に来ているからカッコいい男、と判断するような女にモテて嬉しいか? と私なんかは思っちゃうんだけど、きっと嬉しいんだろう。

 でも、時には、悲しい場面を目撃してしまうこともある。
 私の友人(男)と一緒に、彼がお薦めのレストランに行ったときのこと。すごーい敷居の高いレストランなくせに、そこの店員は彼の名前さえ覚えてはいなかった。彼に言わせれば、何度か来ている…のにである。

 なもんで、自分は常連だよとつい誇示したくなってしまったのだろう。オーダーの際に、
「じゃあ今日は、これとこれとこれ。…いつも同じものばかりで悪いんだけどさ」
 それを聞きながら、うーん、こいつは誰に対して見栄を張っているんだろうと思っちゃったよ。暗に私に対して、いつも来ているんだよという表示か。それとも店の人間に対しての怒りの裏返しか。

 で、そのレストランで出されたものは、確かにうまかった。うまかったのだが、ついワインを飲み過ぎて、私は途中で気持ちが悪くなってしまった。
「トイレに行って来るね…」
 吐くまでには至らなかったが、ずっとトイレでしゃがみこんでいた。その時間、約20分。

 ちょっと気分が治まったので、トイレから出て席に戻ったら、彼がおろおろしている。
「あんまり長くトイレから出てこないもんだから、店の人も心配してたよ。それに及川さんがトイレを占領するもんだから、他のお客さんにも迷惑だし」
「ワインを飲み過ぎて、気持ち悪くなっちゃったんだよ」
 それは彼もわかっていたみたいである。しかし、急に声をひそめ、
「お連れの人は大丈夫ですか、って店の人に訊かれちゃったよ。だから、彼女のコンタクトレンズがはずれちゃって、と言っておいた」
 おまえーっ! なんですぐバレるような嘘をつくんだよ。
「気分が悪いからゲロ吐いてるんじゃない?」
 そう言えばいいのに、そんな女を連れてきたことが店にわかると恥ずかしいのだろうか。

 しかし、席に戻ってみたものの気分の悪さは治まらず、またしてもトイレに。
 今度は10分くらいで出てきたのだが、そのときには勘定はすっかり終わっていた。テーブルの上には、まったく手が付けられていないデザートがあったにもかかわらず。
「さぁ、帰ろう。早く出よう」
 そう促されて店を出るとき、見送る店員に聞こえるように、
「早く家に帰って、コンタクトを直した方がいいよ!」

 この男にとって、今の及川はただただ迷惑な存在なんだなぁと思ったよ。彼が見栄を張りたかったのは、私じゃなく店に対してなんだ、ということもわかったね。
 それよりも、気分が悪くなってレロレロになっている女に対して、一欠片の気遣いも優しさもなかったってのが、何だか悲しかったなぁ。きっと彼の中では「恥をかかされた」という思いの方が強かったのだろう。

 お互いに恋愛感情はまったくと言っていいほど持っていない、ただの友人関係である。相手が恋人だったら、彼の対処もまた違ったものになっていたのかもしれないが、友人関係だからこそ優しさの本質が見えるのだ。
 見栄を張りたいがために、優しさをないがしろにする。それで得られるものは、いったい何なんだろう。
 もちろん、彼からの誘いは二度とない。

 そして及川は相変わらず、飲み過ぎては店のトイレでゲロを吐く、という日々をおくっていた。
 だけど、そこが馴染みの店だろうとそうじゃなかろうと、気遣ってくれた人たちの対処の差に大きな違いはない。
 ただ、一度倒れかかって手をついたとき、そこにあった花瓶をぶちまけて割ってしまったことがある。逃げるように店を後にしながら、馴染みの店じゃなくてよかったと思ったのは確かだ。




 
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