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2005年5月7日(土)
35.生きてるだけで…

 明石家さんまは「生きてるだけで丸儲け」と言ったが、私に言わせりゃ「生きてるだけで金はかかる」のである。

 世の中にはお金が好きな人たちがいる。もちろん誰だってお金は欲しいし、どれだけあっても迷惑にはならない。
 だけど、お金を使うのが嫌いな人というのが結構いて、人間関係の亀裂を生んだりトラブルの原因になることが多い。なぜなら、そういう人たちはいかに節約するかよりも、むしろいかに人に金を出させるかということに重きを置くからである。

 これはもう何度も書いたことなのだが、私はトルコに家を持っている。
 トルコは日本人にとってはまだまだポピュラーな国ではないようで、いい所だから一度遊びにおいでよと言うと、じゃあこれを機会に行けたらいいね、と言ってくれる人たちもいる。
 しかし中には、
「飛行機代と自分のお土産代だけでいいんだよね」
 平然と言ってくれちゃう人もいる。
 飛行機代とお土産代だけって…。あなたはどこも観光しない、何も食べない気ですか、と思わず問いかけると、
「だって、そういうのって招待した方が出すもんじゃないの?」
 招待してまへんがな。機会があれば来てね、と言っただけでんがな。
「なぁんだー。だったら行かない!」
 来てくれなくて結構である。

 家に泊めてもらって、いろんなところにタダで案内してもらって、おまけにごはんまで振る舞われて…。
 自分の家族かよっぽど世話になった人に対してならそうもするけれど、赤の他人になんでそこまでしてやらにゃいかんのや。それとも、よっぽど世話をしたんだと思っているのだろうか。
 おまけにそのあと、私は彼女に「ケチ」と言われた。どっちがケチなのか、行列ができる法律相談所で判定してもらいたいほどである。

 とにかく人のためには、1円でも出したくない人がいる。
 でも、旅行するのは自分のためじゃないか。自分に対して金を惜しんで、それでいったい何が得られるのだろう。
 そのくせ人の好意には、おんぶに抱っこに肩車。スキあれば、何とか恩恵にあずかろうと思っている。そんなことばかりに終始していたら、顔つきが悪くなっちゃうよ。
 金なんて使うためにある。むろん、いちばんは自分のために使う。だけどさ、もし自分が金を出すことで、相手が喜んでくれるのなら、それは自分の喜びにもつながらないかと思うのだ。

 いざと言うときのために、無駄遣いせずに貯金をしておいた方がいい、というのはよく聞く。
 だけど、いざと言うときはどんなときなんだろう、と最近しみじみ思うのさ。
 私の場合、病気になったときは、保険に入っているので入院費くらいは出る。死んだときも、家族だけの密葬にしてもらうつもりなので、さほど金はかかるまい。
 ああでも、墓だけは今のうちに買っておいた方がいいかもなー、と私は常にいざというときのために金を貯めるより、いざというときを考えて金を使う方にばかり頭が行く。
 自分が喜んで同時に人も喜ぶような、そんな金の使い方ができればきっと最高だよね。

 もうずいぶん前になるが、私がばんばん稼いでいた頃。
 確定申告をして、その税金の還付が思いのほか多かったので、3泊4日の海外旅行を友人に奢ったことがあった。
 彼女は家から家に帰るまで、見事なまでに1円の金も払わず、何か必要があると、
「お金ちょうだい」
 と言って、手のひらを差しだした。

 奢ってあげると言ったのは私だし、すごいなーと感じながらも、まぁ仕方がないかと思っていたのだが、その旅行からしばらく経ったあと。
「ほんとは行きたくなかったのよ。でも、全部出してあげるって言われたからさ。少しでもこっちが出さなきゃいけないのなら、絶対に行かなかったわ」
 周囲にそうふれ回っているのが、私にも伝わってきた。

 行きたくなければ断ることだってできたはずだ。断ることをせず、いい顔をして人に金を出させておいて、そういうふうに陰で言うのは、人として最低ではないのだろうか。
「及川さんにゴマすれば、何だって奢ってくれちゃうわよ」
 そういうふうにも言ってたらしい。
 喜んでもらうために金を出したのに、相手に喜んでもらえるどころか、逆に自分が悲しくさせられてしまった。そういうことに使った金を、きっと無駄金って言うんだろうな。

 世の中には助けを必要としている人たちがたくさんいる。
 中越地震や昨年末のスマトラ沖地震と津波の被災者。戦争や内戦による被害者。親を亡くした子どもたち。日本に暮らす難民たち。いちいち挙げていけばキリがない。働くこともままならず、飢餓や病気に苦しむ人たちは、世界中に数え切れないほどいる。
 そして、自らの人生を賭けて、そういう人たちを助ける人もいる。すごく立派なことだと思う。

 ただ私は、自分の目の前にいる、自分が顔も名前も知っている人を助けることができて初めて「世界中にいる恵まれない人々」を助けられる余裕が生まれるという考えである。だから今の時点で、社会貢献はほとんどできていない。
 作詞家なんていう、言ってみれば世の中に食べさせてもらっている私であるが、その世の中にお返しができる日はなかなか遠い。
 人にお返しをしたり、顔も名前も知っている子どもたちを、せめて学校に行かせてあげたり、病院代を払ってあげたりするだけで、いっぱいいっぱいなのである。

 それでも、私の目の前の子どもたちは、ありったけの笑顔で喜んでくれる。そこには損得勘定も何もない。
 生きてるだけで金はかかる。だからこそ、生きた金の使い方をしたい。




 
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